|
いつものように、6時に仕事を終えていつもどおりに味郷に向かった。
立て付けの悪いガラス戸をガラガラと開けると、赤いエプロン姿のヨンシミがいた。
「あれ、今日私の番じゃなかったっけ？今日予約とか入ってるの？
忙しい日は二人で働くこともあった。」
「モクサニムが上にいるよ、りうめい上に来いって。」
なんだろう・・アジュモニがなんか変なこといったのかな。
モクサニムが怖い顔してテーブルの前に座っていた。
部屋のすみっこに、奥さんが不安げな表情をして足を崩して座っていた。
アジュモニは背中を丸めて、部屋の真ん中に置き物のように座っていた。
「りうめい、ちょっと座りなさい。」
「はあ・・・」
気まずい沈黙を破るように、モクサニムが低い声で言った。
「りうめいさん、私は約束破る人は好きじゃないネ。でもりうめいさん、破りました。私がりうめいさんに親切にしなかったことありましたか？これは裏切りですよ、裏切りー。」
「はあ・・でもやっぱりモクサニムと映画を見たりするの、理由がないと思うんですけど。」
「私が変なことしましたか？？アジュモニに言わないって約束、りうめいさん破りました。
この南さんは、私の奥さんに変なこといっぱい言って、奥さんが私変に思うんじゃないですか、私はそれを最初からわかっていましたからー、約束したのにー。」
そういい終わった後、牧師は韓国語モードに変わり早口で何かまくし立てた。
奥さんもアジュモニも、モクサニムがいないときはさんざん牧師を罵っているくせに、牧師の前では何も言わないで、黙っている。私を無言で責めている。
私一人が悪者状態。
だから日本人は信用できない、留学生ハウスに入れるべきじゃなかった、こんな子だとは思わなかっただの、ひたすらアジュモニに告げ口した“裏切り者”だと大声で責められている。
奥さんの後ろのテレビには、マチャアキが映っていた。
ああ、そういえば今日スパイダースの映画がｍｘテレビでやるって、GSオタクのKさん言ってったけ。
韓国語と日本語のミックスで、牧師の怒りは５０パーセント引きで聞こえていた。
そんな別のことを考えながら、聞き流していた。
「日本人だから、とかそんなのは関係ないと思いますけど！別に告げ口したんじゃありません！
ただ牧師とは映画は見に行きたくないって言っただけですよ。ちょっと、アジュモニもなんか言ってよ！私別に悪いことしてない、親切にしてきたのは牧師のほうで、それがこわいって言っただけじゃん！いつも牧師の悪口いってるくせに、こういうときには何も言わないで！ずるいよ！」
アジュモニに日本語がわかるわけなかった。
アジュモニはあさっての方向を見ながら、爪を噛んで黙っている。
その姿を見てたら、『愚鈍』とか『白痴』とかそんな言葉が浮かんだ。今までは気にしなかった彼女の服装がみすぼらしく、油っぽい白髪交じりの髪がとても汚らしく見えてきた。
すーっと心が離れていくのを感じていた。
「りうめいさんの日本語わかりませんねえ、韓国語でいってくれないとわからないネ！」
韓国語で自分のいいたいことを言おうとしても言葉が出てこない。複雑なこと言えるわけがなかった。
すると牧師がハッハッハと笑いながら、何言ってるんですか？りうめいさんの韓国語じぇんじぇんわからないね！と、アメリカ人が驚くみたいな肩をあげて手の平を見せるオーバーアクションをするではないか。そしてキッと表情をかえて、
「りうめいさん、知ってますか、韓国人は自尊心が一番ね、一番。私の自尊心めちゃめちゃ！」
涙がぼろぼろ出てきた、いつの間にか。
言葉ができないことでここまで馬鹿にされるなんて、しかもこんなずる賢いリスみたいな顔した、お金儲けした頭にない偽牧師に言われるなんて！
そしてアジュモニを罵り始めた。
南さんの見ている世界が狭いから、こんな頭の悪いことをするのだ、奥さんをいたずらに不安にさせて何が楽しいんだ、りうめいに親切にしたのは自分の新しい食堂を出すにあたり、どうしても日本人の名義が必要だったので利用しようとしたのだ、アジュモニがいなければ、その一部屋を別の留学生に貸せるのに、家賃や光熱費をちょろまかしているだろう！などなど。
だいたい何を言っているのかはわかった。
そして最後に、私の方を、汚いものを見るかのように見つめながら、
「だから日本人を信用しちゃあ・・××××・・韓国は・・×××」
といった。
ブチッ（キレる音）
「日本人だからとか関係ないって言ってんじゃないですか！さっき名義のために利用するっていいましたね！？？どんどん食堂作ったっておんなじですよ！うまくいくわけないですよ！」
「なにいっ？出てけ！顔二度と見せるな！寄宿舎から出てけ！」
「言われなくても出て行きますよ！あんな寄宿舎出てってやるう！」
おお、捨て台詞なんて吐いてしまった。この場を早く立ち去らねば。階段を急いで駆け下りると、心配そうな顔したヨンシミが声をかけてきた。
「もう、だめだあの牧師。もう関わりたくないから、寄宿舎出てくわ。」
「何があったの？」
「まあ、ヨンシミも牧師と関わらないほうがいいよ・・この店だっていつまで続くか。ほかのアルバイト探しな。バイト代もらえないかもよ。」
ヨンシミは、細い目をめいっぱい見開いて驚いた。
「じゃあ、あんまり会えなくなるね。」
「牧師に見つからないように、今度高円寺のほうに遊びに行くよ。」
「うん・・」
連絡先の交換をして店を出た。
寄宿舎を出る
アルバイトに行かなくなって、だいぶ月日がたった。いつの間にか新しい年を迎えていた。
アジュモニは相変わらず寄宿舎と味郷を行ったりきたりしていた。
牧師はこの寄宿舎に顔をめったに出さなくなった。
私の隣の部屋には、大連から来たという朝鮮族のヨンファが引っ越してきた。学校から戻るとすぐ池袋の中華料理屋で週６日のアルバイト、なので部屋にめったにいないのはよかったのだが、部屋にいるときは、ずっと電話。
あんなに話してて通話料大丈夫なのか？と突っ込みたくなるほどで、耳障りで抑揚の激しい中国語（当時はそう思っていた 笑）にヘキエキしていた。
アジュモニは、味郷での出来事なんてすっかり忘れてしまっていて、私にいつものように接していた。しかし私はあの一件から、アジュモニやハルモニにあまり深く関わるのはやめようと決めてしまっていた。新しく住むところも探していた。しかしもう寄宿舎は無理、半年後にはワーホリで韓国に行く・・・考えなければならないことがたくさんあった。
バイトから帰ってきて夜ご飯を食べ終わった後、勉強をしてさて寝るか・・という頃にアジュモニがかえってくる。私の部屋のドアをコンコンと叩く。
何の用かと思えば、
「モーへー？（何してんの？）」
といって、部屋に入って座る。とりとめのない話につきあわされて、結局２時になっていたり。
休みの日、台所でご飯をつくっていると、
「モーモゴ？（何食べんの？）」
郵便物が来て、台所で見ていると、
「モー（何？）」
モーモーモーモーうるさいんだよっ！ささくれた気持ちから、こんな言葉が口をついて出た。
「ああ、もううるさいってば！」
アジュモニがびくっとして、一瞬固まってしまった。
「シ・・シックロプタゴ！？（う・・うるさいって？？）」
「私がなにしようと、首突っ込まないでくださいよ」
（サンガンハジマセヨと言ってしまった、今考えるとこんな言い方は目上に対しては失礼だろう）
私から、そういわれてよほどショックだったのか、そのまま自分の部屋に入ってしまった。
その日から彼女は、私を非常にわかりやすく避け始めたのである。
他の留学生に、わざと私のいる前で不必要に親切にし、私が現れると、内緒話をこそこそとし・・
用事があって、アジュモニに話しかけても無視された。
この単純明快さが、かえってアジュモニはやっぱり悪い人ではない、ということを証明しているよ
うで、いいといえばいいけれども。しばらく一人の時間が持てるようになったので、よかった。
それからまたしばらくたった１月の下旬ごろ、ヨンファのいたところに、今度は釜山から来た女の子が引っ越してきた。（名前は忘れてしまったが）
日本のカレーはおいしいとかなりお気に入りで、大量に作って、それを毎日のように食べていたので、密かに“カレーアガシ”と呼んでいた。
学校で同じクラスのオッパの紹介でやってきたというのだが、その彼が留学生ハウスの２階に住んでいて、その男が彼女が部屋にいるときにはやってきて、おしゃべりをして帰っていく。
特別な関係でないのはわかっているが、これもまた耳障りであった。
２１歳の大学生なら、仕方がないかと思いつつも、台所は使ったら使いっぱなし、洗濯機の中に洗ったものは入れっぱなし、カレーを温めた後、汚れた電子レンジを拭かない、トイレの掃除の当番もろくに守らず、でアルバイトで遅く帰ってきて夜中に洗濯機をまわし、テレビを普通につけて見る・・
まったく最悪なカレーアガシであった。
カレーアガシがアジュモニと仲良くなり、ご飯を一緒に食べたりしていたので、私自身アジュモニと距離を置けたことを正直喜んだ。
カレーアガシに感謝したいところだったが、夜中の１時２時にサザンの“TSUNAMI”をリピートするのには耐えられなかった。日本語の勉強もかねているのだろうが、２、３度ここは共同生活をするところなので、ルールを守って生活してほしいと注意した。男が来るのも、他の女子留学生の意見もあって、注意した。
しかし、まったく直す気配がなかった。
ある晩。いつものように壁の向こう側から、TSUNAMIが聞こえてくる。
気がつくと廊下に飛び出して、カレーアガシの扉をガンガン蹴っ飛ばしていた。
「こっちは働いてんの！１時過ぎたら静かにしなさいよっ！何度いえばわかるんだよっ！」
TSUNAMIがピタッと止まった。電気を消す音が聞こえた。
この日から、他の女子留学生も私を恐れるようになってしまった（笑）。
自分が出て行くべきだな、ここを。
数日後、隣の部屋からはカレーアガシのすすり泣きと、うめき声とアイゴーーという声の聞こえる日々が続くことになる。
そればかりは注意することはできない、できるはずもなかった。
彼女の父親が突然倒れて亡くなったという知らせを受け、急に帰国できる経済的余裕もなく、落ち着いたら来なさいと母親に言われ、彼女は学校を休んで１週間泣き暮らしたのである。
|
