東京デイズ
No.7



 味郷にて

 

12時。
OLがお財布だけを持って、2、3人くらいのグループで、お昼を食べに行ったりコンビニに行ったり。
そして食べ終わった後は、トイレで歯を磨いたり、化粧直しをしたり、噂話をしたり・・
そんなどこにでもあるお昼のオフィス風景。
一方、12時になると八重洲ブックセンターの角を入って、ひたすら八丁堀を目指して、碁盤の目のような街の、ビルとビルの間をまっすぐ走る、サンダル履きの偽OLがいた。
貯金中のためお昼ご飯をケチって、味郷(ミヒャン)でタダごはんを食べるために、である。

お昼時の味郷はそれなりに混んでいた。お弁当がオープン記念で2割引だったため500円くらいで本場のチャプチェ、ピビンパブやチェーユットッパブ(肉の炒め物)、キムチチャーハンなどが食べられたのである。
ぜいぜい言いながら、カウンターに座ると、アジュモニがよく来てくれた、とナムルたっぷりのピビンパブを出してくれた。
それを簡単に混ぜ合わせて、ほおばる。
10分後くらいには、再び八重洲方面へ。途中にフィルムセンターがあったので、今日はどんな映画が見られるのか、そんなのをチェックしながら会社に戻って、“オフィスモード”の声で電話対応をする。

6時に退社して、7時から味郷でバイト。日がたつにつれ、アジュモニは私に買い物を頼むようになった。八丁堀に行く途中にスーパーがあり、そこで焼肉用の肉だとか野菜、調味料などを買っていく。これがまた重かった。
焼肉の肉をきれいに皿に盛り付ける、チヂミを焼く、翌日のナムル用ににんじんの千切り、テーブルの片付け、飲み物を出す・・そんなのが私の仕事であった。
夜遅くなって、2階に泊まった次の朝は、アジュモニも一緒に起きてくれて、簡単なお弁当を作ってくれた。

牧師の奥さんがこの店を手伝いに来ていた。
くっきりした大きい目は、整形なのかどうかはどうでもいいのだが、昔は美人だったんだろうな、と思わせた。化粧がいかにも韓国のアジュンマで、くっきりとリップラインをひいて、やや暗めの口紅を唇にたっぷりと塗りつけていた。香水のにおいがきつく、マニキュアも赤。
慣れない手つきで、アジュモニを手伝っていた。
牧師は、宣教師ビザを持っており、目黒にも一戸建てを構えて、それなりに裕福な暮らしをしているようだった。牧師の奥さんは、好きで日本にいるわけではない、日本は嫌いというオーラを香水と同じくらいにプンプンさせていた。
牧師といってもお金儲けしか考えていない、必要以上にギラギラした俗っぽいオヤジであるとようやくわかったのは、この店でアルバイトをして、彼らと顔を合わせる機会が増えたからである。

私が、週5日はきついといい、週3日にしてもらったときに、新しく二人の女の子がバイトとして入ってきた。
一人は、“真珠(チンジュ)”というきれいな名前を持った、写真の専門学校に通っている女の子、もう一人は、おっとりとした雰囲気が人に好かれそうなヨンシムで、二人とも高円寺の留学生ハウスに住んでいた留学生だ。
夜ご飯を食べに味郷にいっているうちに、ヨンシミと仲良くなった。
彼女の紹介で、韓国で唯一という(?)仏教学科を卒業して、代々木アニメーション専門学校に通っているというチャジュン氏(私と同い年の男性)とも仲良くなった。
二人を連れて代々木の韓国語塾に行き、鍋を一緒に食べたりした。

ヨンシミから牧師の話を、あまりよろしくない話を聞いてしまった。
牧師は、高円寺の留学生ハウスに新しく女子留学生が引っ越してくるたびに、二人きりの食事に誘うのだという。
日本の生活は大変だから、困ったことがあったら頼りにしなさい、というので、まあ牧師だしと、ほとんどの留学生は一緒にご飯を食べに行くのだという。
私も牧師に誘われて、歌舞伎町の韓国食堂で牧師の友人のカンペ(やくざ)となぜかネンミョンを食べたことはあった。

アジュモニと奥さんは、牧師が若い女の子たちに優しくするのが気に入らなかったのであろう、その嫉妬から女子留学生たちをいじめるという行為に出たのであった。
特にチンジュがその標的にされた。アジュモニが、奥さんが、アルバイト中のチンジュにつらくあたる。しかしチンジュも気の強い女の子だから、言い返す。
その態度が更に彼女たちの気分を悪くさせ、店に行くと、店の中からチンジュを怒鳴りつけているアジュモニの声が聞こえてきた日もあった。
結局アジュモニと奥さんは、店の売り上げをチンジュがごまかしている、と牧師に言って、
チンジュをクビにしてしまった。
実際はこの二人がちょろまかして、牧師には嘘の売り上げを報告していたのに、である。

牧師とチンジュが本当に特別な関係(どこまでかは知らないが)にあったということは、ずいぶん後になってから知った。
彼女は、写真スタジオの使用料や機材など必要な費用を全て牧師からもらっていたのだという。

チンジュなかなかやるな。

牧師とデート・・??

牧師は、毎日7時ごろになると売り上げをチェックしに店にやってきた。
黄色のシャツに、派手な模様の赤いネクタイをしめ、香水をプンプンさせてあらわれる日もあった。奥さんの香水でもかなり参っているというのに、ここは食堂だって。
本格的な冬が訪れたころ、牧師は急に私に必要以上に親切にしはじめた。

牧師の奥さんは牧師の繰り返される浮気のために、情緒不安定で薬も飲んでいるくらいで、本当にかわいそうだ・・アイゴ・・と嘆きながらアジュモニは仕事をし、奥さんは鼻水を鼻の下に光らせながら、牧師に内緒だといってリップスティックをくれたり・・いい人なのだろうが、食堂の仕事をかえって増やしてしまう仕事ぶりで、とよくわからない日々が続いていた。
ちなみにそのリップスティックは、イヴ・サン・ローランの真オレンジ色で、ありがた迷惑なプレゼントであった。(しかも彼女の使いかけ)

ある日、いつものように仕事を終えて、2階で寝ようとすると布団から牧師のつけている香水のにおいがした。
「ちょっと、アジュモニ何これ!!牧師の香水のにおいがする。」
「モクサニムがつけていったんだろ、りうめいに気に入られたくて。」
「なんじゃそりゃ。」
一人で日本語つっこみ。

その日の夜、コンタクトレンズの清浄グッズを忘れてしまい、しかたなく湯のみの中に水を入れて、その中に入れておき、テーブルの上に置いておいた。やっぱりというべきか、自分がもっと注意しなかったのがいけないのか、翌朝自分が朝支度をしていると、アジュモニが起きてきた時に、片付けられてしまった。
ああああ・・ちゃんと伝えなかった自分が悪い。めがねをかけて出勤。
コンタクトを買うまでしばらくめがねでいた。牧師がなぜめがねをかけて仕事をするのだ、と聞いてきた。コンタクトを買うお金が今はまだない、と短く答えて、店を出た。
アジュモニに買い物を頼まれていたからである。
すると、牧師があとをついてきて、一万円札を握らせるではないか。

「モクサニム、これもらうあれ、ないですよ。」
「南さん(彼はアジュモニをこう呼んだ)のミスは私のミスね。大丈夫」
「いや、こういうの困ります。いいですよ。私があんなのに入れておくのが悪いんです。」
「大丈夫、大丈夫、ああ、そうだおいしいものを食べに行きませんか?」
「え・・はあ・・」

前にもご飯は食べたことはあるし、変な意味で近づくようには思えなかった。
なぜか渋谷を指定してきた。日曜日に会う約束をした。

渋谷の駅前は相変わらず混んでいた。人ごみの中にモクサニムの必要以上にツヤツヤした顔を発見した。
変にお洒落しているのが、気になったが、何が食べたいというのでパスタが食べたいと言った。
東急百貨店のレストラン街のイタリアンレストランに入った。
テーブルについて、一通りオーダーしたあと、彼は小さな箱を私の前にそっと差し出した。
グッチのミニ香水であった。
「これ・・もらっちゃっていいんですか??」
「教会の知り合いがくれたものね、ダイジョブダイジョブ」
水の入ったワイングラスをかっこつけて持つと、乾杯といってきた。
なんとなく落ち着かない雰囲気の中で、パスタとピザを食べた。

店を出るときに、
「もうすぐクリスマスですネ、クリスマスプレゼント何がいいかなあ・・・??
ブチュ(ブーツ)がいいかな?」
「はあ・・モクサニムの気持ちはありがたいのですが、プレゼントをもらう理由がありませんから・・気を遣わないでください。」

大きな映画の看板を見ながら、彼は続ける。
「ほう・・ワタシ ディノソーが好きですネ」
「ディノソー??ああ、恐竜ですね、でもモクサニム、日本語字幕わかるんですか?」
「私は英語わかりますね、今度一緒に行きましょう、うん、そうしよう。」
その一人でまとまっている姿を見たときに、これは腹に何かあるに違いないと思った。
なぜ、モクサニムと二人で恐竜映画を見なければならないのだ!?
JR渋谷の改札口で別れるときに、彼はこういった。
「今日会ったこと、南さんに言わないでくださいね。約束ですよ。今度映画に行くときにネ、
ちょっとお話がありますよ!」
ニコニコして去っていった。

その日から、牧師は食堂に来ると意味ありげにウィンクをしてきたり、コンタクトはもう買ったの?と聞いてきた。アジュモニや奥さんのいる前でである。
話とはいったい何なのか、しかし私に牧師の標的になるような“女”があるとは思えない。
やたらなれなれしくしてくる牧師が、だんだん怖くなってきた。
映画に行く約束の日、電話をして断ろうかと、留学生ハウスの台所で携帯の画面を見つめながら
考えていた。
ちょうどその時アジュモニが部屋から出てきた。
思わず先日の出来事を、アジュモニに話してしまった。
モクサニムが何を考えているのかわからないと、声を震わせながら(ちょっと演技して)話した。
アジュモニは、アイゴアイゴいいながら、とりあえず今日の約束はキャンセルして、牧師が何をいっても知らないフリをしなさい、といった。

このあと、修羅場のはじまりはじまり。