東京デイズ
No.5



 おまえなんか

 

自転車で池袋駅まで行けない日々が続いていた。6月、傘を差しながらの運転は苦手だ。

仲良くしていたチヨンさんが、大きなスーツケースを持って玄関口であいさつをした。
日本での生活を終えて釜山に帰る日がやってきたのだ。
アジュモニは、うん、うんと笑いながら、彼女の肩をぽんと叩いた。
チヨンさんを送るために、西日暮里まで行った。冴えないレストランで、バナナプリンパフェを食べた。
ここまででいいからというのに、私はスカイライナーの切符を買った。成田まで1時間でついてしまうのには驚いた。
お別れのときに、ここで泣いたらちょっと演技っぽくなってしまいそうな気がしたので、
喉もとらへんが熱くなってくるのをこらえた。
チヨンさんが、エスカレーターに乗って見えなくなっていくと同時に、4ヶ月間の楽しい韓国駅前留学が終わったような気がした。

ケータイにメッセージが入った。
『泣かない!今度はりうめいが韓国に来る番でしょ!』
そっか・・韓国に行くか・・都市好きとしてはやはりソウルか。ソウルに住めばちょくちょく釜山にも行けるし映画祭も見られるぞ・・行くか??住むか?
そんなことがグルグル頭の中で回った。

しばらくすると、今度はハートマークのみがずらっと並んだメッセージが来た。
もう、ホントにやることがクサイいんだから!と泣き笑いしながら、飛行機の見えるところまでいき、大韓の水色飛行機が飛ぶのを見送ってから、JR横須賀線に乗った。

電車内は日本に到着したばかりのさまざまな外国人が乗っている。
スペイン語を話すラテン系(勝手に私はメキシコの芸人集団に違いないと空想して楽しんだ)の人々、ピアスしまくり白人(話しかけたかったが隣にいた女子に先を越されてしまった)、中国系のおばさんなどがいて、日本の日常もこんな風にいろんな人種でいっぱいになればいいのに、と思った。新宿みたいにね。

チヨンさんがいない。周りはみんな韓国人だというのに別に話すこともなかった。
アジュモニが帰ってくるのもいつかわからない。スンゴンはほとんど家にいなかった。

ある夜、2時頃スンゴンから電話が来た。ampm前にある公園で待っているから来いという。全くどこまでも自分勝手な男!仕方ないから行くと、スーッとタクシーが公園の前に止まって酔っ払いのスンゴンが出てきた。
おいなりとおにぎりがあるから、酒と一緒に食えと、いらないというのに食えと命令する。
すでにできあがっているスンゴンに何を言ってもムダである。どこまで正気でいっているのかわからない。

「へジャンクッ(酔い覚ましスープ)が食べたい、りうめいがコンビニで買って来ます!」
「へジャンクッって何?」
「味噌汁。」

なぜ私が買いに行かねばならんのだ。嫌だと大声で言うと、彼はふらふらと行ってしまった。コンビニに行ったと思ったのだが、15分くらいたっても帰ってこない。
袋がガサガサいうので、見たら大きなゴキブリがヒゲをゆらゆらさせていた。
うぎゃああああ!
そのおいなりなどが入っているその袋を見捨てて、家に走って逃げた。

まさか、と思い2階のスンゴンの部屋に行くと、明かりをつけっぱなしにしたまま大の字になって寝ているではないか。
自分で呼び出しておいて、夜遅く女子を公園に置いて帰るなんてっ!
大口をあけて寝ているスンゴンに、一発蹴りをお見舞いした。
おまえなんかおまえなんか!

翌日の(正確にはその次の日)夜中3時ごろ、ある韓国女性から電話が来た。
間違い電話だと思ったら、なんとスンゴンのバイト先の友人の彼女だという。
彼女が友人とうまくいっていないので、その相談をするために電話した、スンゴンに変わってくれ、と彼女も(日本語で)普通に言う。
スンゴンに直接電話すればいいのに、というと彼の電話は未払いで止められてるいるとのこと。2階に下りていった。この日もスンゴンは酔っ払って真っ赤になって寝ていた。
『電話!』と言ってそのまま携帯を腹にのせて戻った。

彼は毎日毎日酒を飲み、週3回は市原でバイトをしていた。
友人の紹介で白タクのバイトをし、お金をためて事業を起こす、とたどたどしい日本語で私に言った。千葉に引っ越すことを考えているとも。

この酔っ払いとは関わらないほうがいいかも、といい加減そう思いはじめていた。
部屋に戻れば必要なこと以外口をきかないルームメイトのオンニ。アジュモニもいないし、
他の子たちはみんなバイトでいない。
チヨンさん、何で帰っちゃったの??

初、質屋

7月。クーラーをつけないと生きていけない、とオンニ(ルームメイト)に言われてしまった。私はクーラーを買う気もないし、電気代もかかるのを考えると、彼女とはもう一緒に住む気になれなかった。
ちょうどアジュモニが退院してもどってくるということで、私は1階の奥の部屋に引越しすることにした。
家賃が少し上がって、3万3千円なり。本当は3万6千円だが、アジュモニがモクサニムに内緒にしてくれるという約束で、3畳くらいの部屋に引っ越した。

ある日のこと。2階のハルモニから呼び出し。
タンスから、ミンクのコートと古いスタイルのカシミアコートを取り出して、
『チョンダンポ カジャ』
といった。
辞書を持ってきて調べる。
質屋?はあ、嫌な予感がする・・・

「私の名前ダメ、りうめいのミョンイ(名義)でチョンダンポ、これはカシミアのいいコートね、昔35万したね。」
「他の韓国人学生に頼めばいいじゃないですか、なんか問題あったら嫌ですよ、私。」
「日本人の名前、もっと高いお金もらえる。」
「いや~、これどう見ても2万くらいでしょう。」
「5万借りる。すごくいいコート!」
とコートをさわれという。
「でも、ちゃんとお金返さないと、流れちゃいますよ。そのとき戻ってこないんですよ、わかります・・??」
「ナガレル?」
「ヌグンガガッサゲサヨ イゴ(誰かが安く買っちゃいますよ、これ)」

というわけで、私は池袋にある質屋を回ることになってしまった。高く引き取ってくれそうなところを探せとのハルモニ命令。ガラクタ屋のような店から、窓口が一つだけあるような
(隣に蔵があるような)伝統的スタイルの店までいろいろまわり、結局若い人がブランド品を気軽に預けそうな、入りやすい今風の質屋に決めた。ハルモニと時間を合わせて一緒に
その店に入った。ハルモニのごり押しぶりったらもう・・

あのしわがれ声で、日本語の単語をつなぎ合わせて店の茶髪若主人に食ってかかっている。
おかしくて笑い死にするかとおもったが、我慢した。
「これは・・スタイルが古いですからね、二つでどう見ても2万円、それ以上出せませんね、ってこのおばあちゃんに言ってください。」
私がたどたどしく訳して、その旨を伝えると、また大声出してわめくハルモニ。
結局納得のいかないハルモニは、他の店に行こうと言い出した。
一応、『セキネ』という少々ガラの悪い通りにある店にも行ってみたが、衣類は預かっていないとのこと。
そのまま池袋のロッカーに預けて、アジュモニのいる病院に向った。
ハルモニは、紅茶でも飲め、といって200円を私に持たせてくれた。



甘い生活?

バイトが6時に終わると、相変わらず自然と足は職安どおりに向かう日々が続いた。
『韓国広場(通称ジャント)』に行ってメッコール(炭酸麦芽飲料)だの梨ジュースを買い、ビデオを買い、留学生向けの雑誌や日本版『ギョチャロ(十字路)』を持って帰る。
家に帰れば松葉杖のアジュモニが待っていた。椎名町の駅前で安く買ったという、ド派手な水色のムームーがお気に入りで、毎日のように着ていた。
アジュモニは、私が1階に来たことをとても喜んだ。週に1回のリハビリ(これはお金がかかるので、3回くらいいってやめてしまったが)や、診察に私は付き合った。

アジュモニと私は、ほぼ毎日のように夜ご飯を一緒に食べた。帰りが遅くなりそうなときはアジュモニに電話して、先に食べてて、と連絡も欠かさなかった。
チャジャンミョン(韓国スタイルのジャージャー麺、甘い)、ヨルムネンミョン(大根の葉のキムチとスープにネンミョンを入れて食べる)、キンパブ(のり巻き)・・
たまに私がカレーを作ると、アジュモニは喜んで食べてくれた。

あるときアジュモニに、
『リウメイッテムネサルゲッタ(りうめいがいるから生きてられる)』といわれた。
また、バイト先で嫌なことがあってへこんでいると、
『お母さんみたいなもんだから、何で悩んでるのか知りたいけど・・言いたくないなら別にいいけど。』
とそんなこといって、食べて忘れるのが一番!とおいしいご飯を食べさせてくれた。

まあ親切にしてくれるのは嬉しい。しかし・・
私に普通に2万貸してくれ、と言ってくるのには参った。
体が不自由なので、働けないのがわかっているけども、私もバイト生活で厳しかった。
まあ、なんだかんだいってお金は貸していたが、ちゃんと返してくれた。

アジュモニが留学生ハウスに戻って、再び管理人としての仕事を始めた。
といっても、一日中部屋でハルモニとごろごろしていて、たまにスンゴンがその間に
入って寝転がっていた。
ハルモニは、
「りうめい、スンゴンに食事の準備してやんな、あたしが作ったおかずあるから。」
「なんで、私が友達なのに、スンゴンのご飯の準備しなくちゃいけないんですか!」
「女は夫に尽くす、なんでかっていうと夫は妻と家族のために外へ働きに行くから。」

「だから、あたしは妻じゃないって。スンゴン働いてないって。」
一人突っ込みをしながらも、3人の役立たず(失礼!)を前に忙しくご飯の準備をする私。

しかし、ハルモニの作ったおかず―ししとうと煮干し、キムチ、にんにくのきいたじゃがいも煮物、子持ちガレイの煮物・・どれも本当にうまいからくやしい。