東京デイズ
No.1



 常識が音を立てて崩れてく・・

 


ベトナムのネットカフェでメールをチェックしていると、ローマ字で書かれた日本語のものがあった。
りうめいさんの友達が私の学院の先生で、自分には日本の知り合いがいないため彼女からあなたを紹介された、いい友達になれたらいいと思います、という内容。
彼女の名前は、ヒョンヒさん。ワタクシにとってはじめての韓国人の友達である。

会って3ヶ月くらいたった頃だろうか。
ヒョンヒさんと同じビジネスホテルに寝泊りしているお姉さんが、日本人のルームメイトを探しているとのことで、りうめいさんの勉強の役に立つので会ってみたらどうかとすすめられた。

池袋駅西口で待ち合わせをした。初めて挨拶をしたとき口元だけが笑っていて、いかにもまじめそうに見える眼鏡越しの彼女の目は、ちっとも笑っていなかった。
ヒョンヒさんから少しは聞いていた。オンニは好きで日本に来たわけじゃないし、日本には興味ないから、最初冷たいと思うかもしれないけどケンチャナヨ。やや所帯じみたショートカットに、ノーメーク(でも肌がつるつるだから、ファンデなんて塗らなくたってオッケイなわけね)。ほっぺのふくらみだけが、やわらかい印象を与えているだけで、全身から「わたしはとっつきにくいです」オーラがゆらゆらしていた。

こりゃ、ルームメイトとしては無理かもな、でもいい人かもしれないから、我慢できるさとかなんとか動物の感で人を判断。それはいかんと否定しつつ、お互いつたない日本語と韓国語で会話しながら、夜道を進む。待っていたのはどう見ても違法建築な摩訶不思議な建物。1階はシャッターが閉まっており、なにやら張り紙がしてある。

『○○製作所の権利を○○へ譲渡・・云々・・』 

2階のベランダといえるようなところには、いろいろな建築材が重ね積み上げられ、
はみ出している。クレーンのような何に使うのかよくわからないフックがぶら下がっている。4階には、プレハブの物置のようなものが2つ見えた。1階のシャッターの前にもごみがたくさんおかれている。建物の脇にある、急なコンクリート階段を上っていき、3階の古臭いデザインの扉をたたいた。中からほのかなキムチの匂いとともに、
それはそれは小狡そうな目をした、大陸的に顔がでっかい親父が出てきた。髪の毛を2対8の割合でべたっととかしつけ、ぎらぎらひかっている。

「はーい、まてましたよー」

オンニが彼を『モクサニム』と呼んだ。家に帰って辞書で単語を調べて驚いたのだが、彼は実は牧師だった。その建物は1階が作業所で、3階に事務所のあるつぶれた会社らしかった。彼はそれをある韓国人から買いとって、お金に困っている韓国人留学生に安く部屋を提供したい、と寄宿舎にしたのであった。2階と4階には、すでに男たちが住んでいた。私たちは、ベニヤ板で無理やり仕切った3つの部屋のうちの一つに住むことになった。6畳くらいの広さ。たまに水の音がするのだが、壁に沿った細いパイプからであった。何の水かはよくわからない。共同で使うことになるトイレのゴミ箱には、
虫の死骸がたくさんみえた。お風呂もあったが、とても入る気にはなれぬ代物だ。
おそらくその会社がつぶれてから、掃除をしていないのだろう。
台所もあったが、そこではあんまり料理したくない雰囲気。

これで1ヶ月3万円かあ・・でも、まあお金もためなくちゃいけないし・・オンニとも何とかやっていくことに決めた。早速牧師に、一応契約書を書いてくださいと頼むと、どこからかA4の紙を持ってきて、ボールペンでさらさらと書いて渡した。一番下の日付が20000年2月25日になっていた。一人でにやりと笑った。
きっと面白いことが私を待ってるに違いないと確信した。

気になる不法滞在者の人々

こんなに荷物が多いなんて!とオンニに飽きられながらも、無事川崎の生田から引越し完了。タダでさえ狭いのにオンニはベッドで寝たいと主張、私は妹なので絶対服従だ。ま、地べたに寝るのは慣れてるからいいけど。ただ、枕の横には小型冷蔵庫が置いてあって、韓国から送られてくるおかずたちをオンニが出すたびに、キムチのあの匂いと、にんにくと唐辛子の匂いがぷーんと漂い、その匂いはすぐに消えることなく寝ている私を悩ました。特に大根のナマスみたいのには参った、うん。
でも臭いともいえないし・・こういうのも結構ストレスになったりした。
そのころ私は朝から夕方6時までバイトしていたため、何もなければまっすぐ家に帰った。
引っ越して3,4日くらいたったある夕方のこと。
電気をつけない薄暗い台所に人影が。地味派手な花に金のつる草模様のシャツ、ウエスト部分がややゆるんだベロア素材のパンツをはいたおばさんだった。
白髪のかなり混じった髪の毛は伸びきっており、妙にテカっていた。太っているが足が異様に細く、私はハンプティダンプティを思い出した。
彼女は、フライパンに油をしいて何か炒めようとしていた。
ごま油の香りが台所に広がった。

それが南金子(ナム・クムジャ)、私に人生を教えてくれた人、アジュンマ(韓国語でおばさんの意味)との最初の出会いだった。
それは日本において、日本語がまったくできない純韓国人との初の出会いであった。
なんだそりゃ。
真っ赤なほっぺたの上に細い目がのっかているような感じ。私を見るなり、
「----------??」と言った。
すごくはやい韓国語で何を言ってるのか、ちっともわからない。
「あ・・あの・・イルボンサラン、ナヌンイルボン・・(日本人です)」
だけ、馬鹿のように繰り返す自分であった。

しばらくして、二人の男が入ってきた。1階の工事をしているおじさん達らしい。
赤黒い顔して、汚れたランニングシャツは少しのびていて、いかにも労働者。
アジュモニが並べていくおかずを無言でばくばく食べ、ご飯をその後に押し込むように口に入れる。そのおかずはまさに、韓国旅行したとき、かなり感動した普通のおかずたちそのものであった。ああ、わたくしの前に韓国が、韓国が広がっている!味噌汁の匂いも日本のじゃなくってよ!
おばさん、私に一緒にご飯食べなって言ってくれないかしら、と韓国的展開をひそかに期待しつつ、ぼけーと立っていたところに、今度はおばあさんが入ってきたのだった。長い顔はくしゃくしゃで、それなのに厚い化粧をしていて、迫力のあるばあさまであった。大きくカールした時代遅れの髪型で、イヤリングや指輪がいちいちデカイ。
水商売でもやってるのかな?それにしては年取りすぎだけど・・

彼女はドスンといすに座ると、やや高めのかすれ声でガーーーと話を始めた。
その眉間にしわを寄せた表情を見るに、意味はわからないが何か愚痴だか文句を言っているのだ、というのはわかった。
太ったアジュモニがそのばあさまにごはんはたべないのか?と聞いているようだったが、首を横に振ってタバコを吸いだした。ご飯を食べ終わったおじさん達もタバコを吸いだした。
煙の向こうにめちゃくちゃ濃い世界があった。そこにつっ立ってるわけにもいかなくなってきて、私は黙って部屋に戻り、彼らがいなくなるまで待った。

彼らが食事を終え、いなくなった。
テーブルの上には、食べかけの焼き魚、キムチと、ししとうとこうなごの炒めたのがおいてあった。うれしくってうれしくってキムチをつまみ食い。
ミョルチジョッ(いわしのしょうゆ)、セウジョッ(あみのしょうゆ)がやや多めに入っているであろうキムチは、口の中に入れる前から、やや生臭いにおいがしたけれども、おいしかった。

日本語学校から帰ってきたオンニに、そのアジュモニのことをたずねてみた。
すると、汚いものを見たかのような表情で、太ったアジュモニは、牧師がまえやってた教会のチプサラン(教会で給仕をするおばさん)で、今は工事している朝鮮族のおじさんにご飯を作っていること、おばあさんは、男子学生の住む2階に居候していて、
アジュンマの知り合いで、仕事をしないでふらふらしていること、その全員が不法滞在者であるといった。
彼女が台所でラーメンを作っていると、アジュンマが近づいてきて、あーだこーだあることないこと一方的にしゃべった挙句、自分の漬けたキムチを高い値段で売りつけようとしてきたそうで、その日から彼女は、アジュンマたちを避けるようになったという。そして私に、不法滞在している韓国人にいい人はいないから、あまり深入りしないほうがいいと付け加えた。牧師も牧師だといってるが、お金儲けのことばかりしか頭にないようだから、かかわらないほうがいいとも、そしておばあさんがいっている話は相当品が悪く、聞くに耐えない内容であることも付け加えた。

私はおばあさんの言っていることはまったくわからなかったから、あんまり気にしなかった。しかし、ほかの学生達は、なぜ彼女達がこの寄宿舎にいて、自分達に説教や愚痴を言うのかが不満だったようだ。学生のほとんどが彼女達を避け、とはいってもほとんどが学校とアルバイトで寄宿舎にいなかったので、無関心だったようだ。

ただ一人、私だけが一人で喜んでいた。
生の韓国語。それがたとえ愚痴だろうが説教であろうが、その意味を一日も早く理解すること、それが私の韓国語の勉強の刺激となった。教室に通って、かったるい文法を勉強するよりも、何倍も何倍も実践的である。そして、私のつたない韓国語を理解し、
いろいろと教えてくれたのが、アジュモニだったのだ。
というか、日本語がまったくできないし、勉強もすることなく5年も大久保界隈の韓国人コミュニティオンリーで生活してきたアジュンマに、日本語を勉強する必要なんかない。そんなアジュンマと話すためにはこっちが努力するしかない。幸いなことに彼女はでっかい声で、きれいな発音で話してくれた。学生いわく、かなり『おばちゃん言葉』を話すとのことであったが。

ある日、辛ラーメンをゆでようと台所に出ると、アジュモニがいて
ラーメンばっかり食べちゃだめだ、これを食べなさい、と春雨の炒め物を見せた。
韓国語でその食べ物がなんと言うのかわからない。
「チャプチェ。」
おお、チャプチェというのか。こしょうを入れすぎたのか辛かったけど、初めて食べる太めの春雨は、弾力とコシがあって、重くなくていくらでも食べられた。一緒に入っていたのがひき肉、にんじん、しいたけ、ほうれん草、たまねぎ。
アジュモニはひとつずつ指差しながら韓国語を言う。私は子供のようにまねをする。

私は、おいしいものをおいしく食べるのも、一つの特技だと日ごろから思っている。
『マシッタ、マシッタ(おいしい、おいしい)』とうるさいぐらいに言うもんだから、それを聞いてすっかり気分をよくしたアジュモニは、私を娘のように思い、二人の関係は濃さを増していった。