ワールドカップの熱狂も落ち着いてきた頃。 Mさんは犬グッズを携えて友達と入ってくるなり、子犬をそっと床に置いた。 「ほらあ、りうめい見て!ちっちゃくてかわいいでしょう?これトンケっていうの、市場で売ってたから思わず買って帰ってきちゃった!」 トンケはウンコ犬の意味で、韓国の雑種で人糞を好んで食べるからこの名前がついたそうだ。ウンコ犬とはひどいネーミングだが、ただ一般に雑種のことをさすのであろう。
Mさんは、その子犬をマンゴーと呼んだ。 「マンゴー、これからオンマ(韓国語でママの意味)は友達とまた出かけてくるから、その間は、りうめいヌナ(男性が年上の女性を呼ぶときに使う、お姉さんの意味)の言うことをよく聞くのよー。」 私はその雑種をちっともかわいいと思えなかった。なんで私が世話をしなければならないのだ?? でもりうめい、君は居候だ、掃除をする犬なのだ、彼女の言うことはきかなければ・・・・ その犬に気をまわさないで私は宿題を続けたが、子犬は下痢気味なのかあちこちに粗相をする。そのたびに拭いて回る私。 突然姿が見当たらなくなったので、こりゃ楽だと思っていたときに、ちょうどMさんが帰ってきた。
「ジダン??どこにジダンいるの?オンマが帰ってきましたよ!」 あれ、さっきはマンゴーじゃなかったの?いつの間にかサッカー選手の名前になっていた。 Mさんはものすごい形相で、部屋のあちこちを探し回った。 「りうめい、ちょっとなんでジダンが部屋にいないの??」 「そのへんの隅にでももぐってるんじゃないんですか?」 「ジダン、ジダン!返事をしてっ!ジダーン!」 ジダンは部屋のベッドの隅のほうにうずくまっていたのであった。 それを発見して、キスをしまくるMさん。
Mさんは、犬のクッションにジダンをそっと置くと、イスに座ってタバコに火をつけた。 そしてしばらく黙っていたが、低い声でこういった。
「りうめい、私が今どんなに孤独かわからない?」 「はい???」 「その孤独に苦しめられて、つらくてつらくて何かあたたかい存在が必要だったのよ。 だから、思わず犬を買っちゃったの。なのにりうめいはそれを受け入れてくれないみたい。・・・・もしかして私が最初に『犬を飼うような気持ち』っていったこと根に持ってるの?だから犬が嫌いなの?」 「でも、突然犬を買ってきて世話を私にもしろって、ちょっとおかしくないですか?」 「そんなことより、私がどうして孤独で苦しいのかを聞かないの?」 「・・・・」
私が日本に行ったとき、彼女もSと日本にパック旅行で行った。 そのことを家族の誰にも連絡していなかった。普段から家族で密に連絡を取っているわけでもないが、こんなときに限って江原道の両親から彼女のところに、連絡があったらしい。 しかし旅行中、Mさんは携帯電話を切っていたから、連絡がつかない。 非常に心配した父親は、七人兄弟全てに連絡を取って、Mさんがどこで何しているのかを 聞いたが、当然彼らも何も知らされていないのだから、わからないと答えるしかなかった。 父親は、娘の身に何かあったのだと確信し、ソウルの警察に連絡を入れ、自分も上京する つもりでいたらしい。 京畿道(キョンギド・ソウル周辺地域)にいる兄弟たちは、父を落ち着かせて、Mさんの行方を調べていたそうだ。
「お父さんはね、あたしが殺されたと思ったのよ・・私の父は私に執着しすぎて頭がおかしいの。父は今回の件で地方に恥をかかせた、おまえなんか娘じゃないって・・ほかの兄弟も、人に心配ばかりかけてって、私を怒ってるの。」 「でも、Mさんのそばにいない家族よりも、Sのほうの家族に連絡しなかったの? SがMさんと日本に行ってたってこと知らないわけないでしょ??」 「・・・・」 「とにかく私は家族から見捨てられたのよ・・すごくさみしくて・・そのときに犬を見たら買っちゃってたのよ、気がついたら。私はもう殺されちゃった人間なのよううう。」 と泣き出してしまったのである。
作曲家志望の男の子
Mさんはあいかわらず、昼は学院、夜はレストランという生活をしていたので、結局ジダンの面倒は私がみることになってしまった。 夕方Sが自分の仕事を始める前に家にやってきて、玄関先で私にジダンを渡すと帰る。 私がその犬をちっともかわいがらないので、犬のほうもよくわかっていたようだ。 私と二人きり(正確には一人と一匹)になると、必ずヒイヒイ鳴くのであった。
そのジダンもMさんに、2週間もしないうちに飽きられてしまった。 空いている時間は、大田の作曲家志望の男の子と会っていて、世話を全然しなくなっていったのであった。
Mさんは、その男の子を私に会わせた。 「彼はとっても才能があるの。将来は大衆音楽(ポップス)の作曲家になるのが夢でね、 若いのにちゃんと夢を持っていて、私はヌナとして応援したいの。一緒にこの前カラオケに行ったんだけど、すっごく歌がうまくてびっくりしちゃった! 顔だってとても整ってるし・・」
男の子は照れてうつむいた。 確かに顔立ちの整ったまじめそうな男の子ではある。 大田とソウルを行ったり来たりしていたら、お金もかかると思うけど・・ お金ありそうには見えないし・・
近所のサンギョプサル屋で、不思議なメンバーでご飯を食べたあと、Mさんと私は家に戻った。 明日空いてるか、と聞いてきた。何かと思ったらあるライブカフェ(ライブ演奏を楽しめる飲み屋・レストラン)で知り合ったおじさんバンドのメンバーが、男の子をとても気に入り、一緒にMT(本来合宿の意味があるが、ちょっと遠出してみんなで楽しむ集まり)に行こうと誘ってきたんだそうだ。 おじさんメンバーの家族も一緒だそうで、Mさんは男の子と二人きりで行くのは変な風に思われるといい、私を誘ったのであった。
おじさんたちの車に乗って私たちは漢江(ハンガン)の上流へと向った。 後部座席に、私・Mさん・大田男子の三人。 二人は、腿を触りあって、いちゃついているようにしか見えないのであった。 気分はよくなかったが、それでも景色がすばらしく、川沿いにある民宿に泊まり、野外で サンギョプサルを焼き、焼酎を飲む。それはそれで楽しいのであった。 おじさんバンドの一人がギターを持参しており、それにあわせてフォークソングをみんなで歌った。私が好きな時代の韓国フォークソングを歌ってくれるので嬉しかった。 来た甲斐があると、このときに思った。 が、彼らの焼酎のすすめかたが半端じゃない。飲まないとものすごく怒る。 ああ、ここは韓国なり。すすめられるがままに飲むとグルグルしはじめて、私は一人 民宿で寝たのであった。
帰りも、二人は相変わらずのいちゃつきぶりであった。 おじさんたちは、ちゃんと回基まで私たちを送り届けてくれた。 ものすごい渋滞に巻き込まれて疲れていたはずだが・・私たちも実際ひどく疲れていた。
家に着くなり、Mさんは 「あのね、りうめいはとっても料理が上手なの、この前作ってくれたカレーすごくおいしかったなあ・・ねえ、あれまた作ってくれない??(大田男子も)きっと気に入ると思うんだけど。」 いくらカレーで簡単に作れるとはいっても、サラダもスープも用意しないと気がすまない 私としては、この疲れた状態では作るのは嫌だった。
「外でソルロンタンでも、食べない・・??」 「あのカレーすっごくおいしかったなああ・・今きのこもあるし、ズッキーニもあるし あるので作ってもおいしいと思うなあ・・」
ニコニコニコニコ・・・・ いつもの笑顔である。
大田男子は私の顔が曇るのを見て取ったらしく、外で食べようとMさんにいったが、 「カレー、簡単でしょ??」 と譲らない。
私は、材料を買いに外に出た。こんな考えが頭をグルグルする。 私もしかしてMさんにうまく利用されてる??
なんとなくくやしかったので、カレー・サラダ・スープをちゃんと作って食卓に並べた。 彼らは、ソファに座ってテレビを見て笑っていたが、ごはんができるとテーブルにつき、 バクバク食べ始めた。 大田男子が帰った。
「あのね、りうめい。私あの子の力になりたいの・・実はあの子大田から私だけを頼ってソウルに来たの。住むところがないから私の学院で寝泊りしてるの。でね・・私実は オーストラリアのワーキングホリデイビザ申請をしていて、結果がもうすぐ出るのね。」 「日本の大学院で福祉の勉強するために、日本語を習うんじゃなかったの?」 「え?いつそんなこと言った?私。」 「????????」 「私が勉強してるのは英語だけど・・」 「オーストラリアのビザと大田男子と私と何が関係あるのかわからないんですけど・・」 「私がもし、オーストラリアに行くことになったら、あの学院を他の人に任せるつもりだから、あの子があそこで寝泊りできなくなっちゃう・・」 「それは先の話でしょう??」 「でね、あの子をここに呼ぼうと思うの、だって作曲家として才能があるから、応援したいから。」 「じゃあ、3人で住めって?」
Mさんが、私を追い出したくてそういっているのか、それとも本当に事情がそうなのか、 全くわからなかった。 しかし、彼女の話をまともに聞いてると、整理がつかなくてこちらが混乱してくる。 あるときは、『行けないって断って』と携帯を私に渡して、出てみればMさんのお姉さん。 カルビをりうめいさんにおごりたかったのに残念だわ、と言って電話を切る。 家族に無視されているんじゃなかったっけ??
『居候、2杯目はそっと出し』『どんなルームメイトでも3ヶ月は一緒に暮らせる』 そう思ってやってきた。ちょうど3ヶ月経っていた。
Sの代わりに、Mさんのとなりには大田男子が横になっている。 それをベッドから眺める私。そんな日々が続いた。 暗闇の中で彼らはささやきボイスでおしゃべりを楽しむ。 どうせだったらおっぱじめちゃえば(下品で失礼!)??状態であった。 もうだめだ・・・
「ちょっとあんたたち何なの??」
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