虚言症
No.3



 チャットの恋人
 

 

夜の仕事がない日、土日の朝などは、Mさんはパソコンに向ってチャットをしていることが多かった。日本人の男性で43歳。九州に住んでいてアクセサリー関係の仕事をしており、ソウルへは仕入れで1ヶ月に1度来るらしかった。
彼の写真を見せながら、Mさんは『自分の人生を変えてくれた人』とうっとりした表情で私に言った。彼はある友人を通して知り合い、時間を決めてチャットをし、たまに電話もする仲だという。彼女たちの共通言語はカタコト英語。

Mさんが、たどたどしく日本語の単語を言っているとき、それはその彼と会話しているときだった。ある晩、Mさんからいきなり携帯を渡されて、自分の代わりに話を聞いてほしいと言ってきた。自分が教師をしていること、夜働きに出ていることは言わないでくれと
短くいうとソファに座った。
電話を渡されても困るんだけど・・・と思いつつも

「どうも、はじめまして・・あのルームメイトのりうめいと申します。」
「あんた何?私はMと話がしたいんだ」
「あ、でもなんか英語じゃちゃんと伝わらないし、そちらのおっしゃってることわかんないみたいで、代わりに私が聞くことになりまして・・」
「Mは、どうして夜電話しても出ないんだ?水商売でもしてるんじゃないんだろうな!
昼は何やってる?私には何にも教えてくれないんだ。変な想像するに決まってるじゃないか、それにもういい歳なんだからちゃんと生きる目標をもって、一体自分が何をしたいのか、それを私は言いたいだけなんだ。」

Mさんはどうして、学院を経営していることを言わないのだろう。そして日本の大学院に行って福祉の勉強をするんじゃなかった?
とりあえず、私は見ず知らずのおじさまに、説教をたっぷりと聞かされる羽目になり、
ルームメイトなのにMのことはまるで知らないんだな、と嫌な感じで言われてしまった。

それから数日後、今日は明洞のサボイホテルに行くから、今日は帰ってこない、と少し嬉しそうな顔でMさんは出て行った。自分の尊敬するその日本のおじさんが、ソウルに来ているんだと。
なんだ、そういう関係ならそうといってくれればいいのに。

翌日の朝そ~っと戻ってきたMさんは、話したくてしょうがないという顔をしているので、話をふると
「日本の男の人って、変なこといっぱいするのね、私びっくりしちゃった。」
「え?なになに」
「だって・・私を犬みたいによつんばいにして・・後ろから・・・」
「はああ・・」

Mさんは実際美人だ。大きくてきれいな目をしているのに、インターネットの履歴をたまたま開けると目の美容整形ページであることが多かった。
普段は、にこにこ笑顔を絶やさない、優しいお姉さんのイメージだが、酔うと私にホストクラブに行こうとか、友達のおじさんの知り合いが、愛人を募集しているから一緒に行って会ってみようとか、りうめいはもっと男に媚びなきゃダメだとか。

それはそれで話を聞くのは面白かった。ただ、何か大胆なことを言ったりしようとしたときは、必ずこの『私』が間に挟まっていたことである。

『りうめいがホストクラブに行きたそうだから行く』
『恋人がいないりうめいに素敵なおじさまを紹介してあげたいから私も行く』
『(普段着じゃ着られないような服を私にあてがって)これりうめいに似合いそう。買ったら私にも貸してね』


彼女が、日本人男性の知り合いがほしいので紹介してほしい、といってきたので、私は日韓交流サイトのアドレスを教えた。
そのサイトには、打った文章が自動翻訳される(性能は悪いが)チャットルームもあった。
彼女はそのサイトにはまった。
もし会うことになったら、りうめいも一緒に行こう!ととても楽しそうであった。
が、仲良くなったのは大田(テジョン・ソウルから電車で約2時間の都市)に住む作曲家志望の韓国男子23歳であった。
家にいるときは、チャットかその彼との電話。
しかもその『お姉さんボイス』が、自分が寝る頃に1時間くらい聞こえてくるのである。
その頃もあいかわらず12時を過ぎると、いとこのSが家にやって来て、シャワーを浴び、Sさんと並んで寝る。朝6時半に起きて二人を起こさないように私はそっと準備をして家を出る。

何も言いますまい、言えますまい。私は居候の身。
なんといったって部屋代はタダなのだ。
 

確かに最初の1ヶ月、二人があまりにも私をちやほやしたものだから、やきもちを焼いたのは事実であった。
私が日本に行ったときも、Mさんが、りうめいに現地で会えなくても同じ時期に行く!とパック旅行を申し込み、Sと二人で2泊3日行ってきたくらいだったから。
Mさんの私に対する態度ががらっと変わり、大田の男に神経集中する日々が続いた。

ある日、Sとりうめいとはうまくいかない、と残念そうな顔をしてこういってきた。
「あの子ね、今ストーカーに追い回されてるの。Sのことがすっごく好きな女の子で、
外大の学生で、親がとてもお金持ちでね、彼女は絶対にお金持ちの息子と結婚しなきゃいけないって思っていて・・
Sは最近漢南洞(ハンナムドン・大使館が多く集まる金持ちの町)に両親が引っ越したでしょう?彼女はそれを知っているの。」

いや、あきらめるも何も、Mさんが一人でくっつけるのを楽しんでいたのだから、私には関係のないことです・・・(でもちょっと残念)

「S、彼女の強い押しに負けちゃって、とうとう寝ちゃったみたいなの・・
で、彼女に対して責任をとらなきゃいけないって、それで付き合いだしたの、もう多分
うちには来ないと思う。」
「はあ・・・(言い寄られて寝てしまうって一体・・?)」

韓国人じゃないから?!

2002年6月。その頃世界は、サッカーのワールドカップで盛り上がっていた。
韓国代表チームはあれよあれよと勝ち進んでいて、その興奮は、強い愛国心と結びついて異常なくらいの盛り上がりを見せていた。

私はもともとサッカー観戦に興味がないし、みんなで集まって騒ぐというのを単純に好まないので、試合のある日は外出をしないようにした。
(みなさん世の中にはこんなタイプの人間もいるのです)
大学路で友達と待ち合わせたら、その時たまたま応援イベントが開かれていて、右も左も赤赤赤。電話もつながらず、やっとつながったと思ったら大学路への交通が麻痺して動けないと友達。仕方なくチョンノの方まで歩いてバスに乗ったり・・大好きな大好きなバンドのライブに行ったら、彼らの一人が演奏の合間に太極旗を持ち出して振りはじめ、会場が応援歌を合唱し始めたり・・と自分にとっては信じられないことの連続。
別にいいじゃん、お祭り騒ぎなんだから・・・と言い聞かせても、赤いTシャツを着た集団の中にいると、得たいの知れない不安で一杯になり、泣きながら両親に電話したこともある。

韓国-スペイン戦。この日MさんがSの店『Uターン』で試合を見よう!と言ってきたので気乗りがしなかったが一緒にいった。
『Uターン』は、ソファ席が5組くらいの小さな店である。人は何人いたかは覚えていないが、韓国代表チームの一挙一動にためいきをついたり、ののしったり、抱き合って喜んだり、悲鳴をあげたり、とかなり盛り上がっていた。
終盤、確かアン・ジョンファンがゴールを決めて、準決勝進出が確定したとき、みんなは
狂ったように喜んだ。
私も、手を叩いて喜んだ(実際はフリ)。彼らの興奮は最高潮。そのときSが私のほうへやってきて、
「やったよ、ウリナラすげえよ!これなら優勝できる!
・・・・りうめいは嬉しくないの?」
「え、ああ、韓国すごいねええ・・次ドイツだね。」

彼の顔はみるみる不機嫌になった。
「りうめいは嬉しくなさそうだね、なんで?やっぱ韓国人じゃないから?」
どうしてこの人はこういうことを普通に言えるんだろう!
怒りとも悲しさとも言えない感情でいっぱいになり、Mさんに家に先に帰ると告げると外に出た。

外大から家がある回基(フェギ)の線路沿いを歩いた。
どこの店からも、人々の喜ぶ声、歌声、悲鳴が聞こえてくる。

韓国人じゃないからわからないって、そりゃ確かにそうだけども、そんなことを言われたら身もフタもないですわ。東京の寄宿舎にいたときも、何かあればすぐに『りうめいは日本人だからだよ』。
知らず知らずのうちに、周りによって築かれていく、私の日本人としてのアイデンディティ。
これが韓国に住むってことなんだなあ・・と初めてそのときにわかり、もう無理して韓国を丸ごと受け入れようと努力するのはやめようと決めた。私のねじれた韓国に対する思いを無理して、『(全体的に)韓国が好き』という方向に持っていく必要はないのだ。

彼らが家に戻ってきたのは、朝4時。
私が目を覚ますとMさんが
「ごめんなさいね、でもウリナラのチームが準決勝戦までいくってすごいことなのよ。
本当に、世界にウリナラっていう国のすごさをわかってもらういい機会だと私は思ってる。」
私はその言葉を夢の中で聞いているような気がした。