海外であった韓国の人々
No.1



 カオサンのドミトリーで

 

タイのカオサンストリートがバックパッカーの聖地であることは、ちょっとした貧乏旅行をしたことがあるなら誰でも知っているだろう。
どの国に行っても韓国がついてまわってくる、というより自分が知らず知らずのうちに求めていたのかはわからない。

たまたまカオサンで一番安いドミトリーが、地球の歩き方によれば韓国人の経営する、
「出会いの広場」、60バーツだったというだけだ。どれだけ汚いところなのか好奇心がうずいて泊まったのであった。ベトナムのビザが出るまで滞在した。
結局1週間いる羽目になってしまった。
1階が食堂になっており、ハイト、カス(いずれも韓国のビール)それと簡単なご飯が食べられた。メニュー表を見ると、プルコギ、キムチチャーハンなどがあった。本棚には手垢で汚れた韓国の本がずらっと並んでおり、例のごとく沈没組みの日本人が二人ほど、そこでダラダラしていた。
最初は強烈ないでたちに興味を覚えたが、インドでいかに危険な目にあったか、タイで安いご飯が食べられる店をどれだけ知っているかなど30分聞いたら飽きてしまい、話しかけられないようになるべく彼らを避けた。
ドミトリーはもちろん男女の区別なし、裏通りにあるので昼間でも薄暗く蚊も多く、
二段ベッドが並べられ、クスリの話をわざとらしく話している日本人の会話も聞きたくなかったし、寝る時以外にはいられないところであった。
干した下着が全部盗まれたのには参ってしまった。下着を買うのに余計なお金がかかると思うと憂鬱な気持ちになった。

ある日の夜、店の人たちと何人かの韓国人バックパッカーが集まって酒を飲んで騒いでいた。通り過ぎようとした時主人が、
「この子、少し韓国語ができるんだ」とみんなにいい、その輪の中に入ることとなった。カスを飲んで顔を真っ赤にしながら、たどたどしい韓国語で10月は韓国に行くというと、その輪の中の一人、手に包帯をぐるぐる巻いて、目の上が紫色になって痛々しい顔した男が、
「女の一人旅・・・なんて勇気があるんだ。感心した。韓国に来るなら私の家に泊めてあげるから着いたら電話をしなさい。うちの家族は英語、日本語、フランス語ができるから心配は要らない。」と財布から名刺を取り出し渡したのであった。
主人が横で、
「この人はプーケットでバイク事故起こした時に、タイの人にとても親切にしてもらったから、自分も他の人に恩を返したいんだ、それが韓国の情というもんだ。」といった。SK何とかと書かれた名刺を前にきょとんとしていると、
「SKは韓国でとても有名な会社だ、私は怪しい人ではない。」とお決まりのように、"有名な"というところで親指を立てた。

韓国では知り合いの下宿先に転がり込む予定だった。韓国に着いたら連絡すればいいやという程度に考えていた。なので韓国到着後、しばらくは彼のことは思い出さなかった。
翌朝、1階で韓国版『地球の歩き方』をながめていると、雰囲気のいい男が大きな荷物を持って降りてきた。素敵な人だなー、もっと話したいナーと思えば、彼は今日で3ヶ月間の旅行を終えて今日帰るという。小さいけれどもある劇団で俳優をやっているんだそうだ。ほんの短い間ではあったが話をし、10月に韓国に行ったらソウルと釜山に行くつもりだというと驚いて、
「私は釜山に住んでます。じゃあ、宿の心配はしなくていいです。ここに連絡を。」
とメモをくれた。

「チェ・・チェ キョンデ さん・・」

「君がハングルを読めるのが嬉しいよ。韓国は寒いから着いたらすぐに上着を買うようにね。」と去っていった。

宿の心配は要らないっていったって、たった今会った人に、そんな簡単にうちに来いなんて言えるものなのだろうか。私は単なるあいさつと受けとめ、昨夜の怪我していた男からの名刺も何の考えもなしに財布にしまった。

ベトナムのリーさん

タイから飛行機に乗れば、ベトナムは1時間ちょっとであっという間につく。
薄桃色のタイトなアオザイを着こなしたお姉さんから、無表情で機内食を渡されたとき、ああ、社会主義の国に行くのだなあとどきどきした。
機内食はパンだけがおいしかった。

薄暗い空港をでると、バイクの排気ガスで灰色に染まった空。
見慣れぬベトナム語の洪水、客引きの白タク運転手が大勢見えた。みんな無表情で客引きするので不気味だった。空港から市内までは少し離れているようだったが、できればタクシーは乗りたくなかった。歩いて街の雰囲気をつかみたかったのだ。しばらく歩けばバス停の一つ二つすぐ見つかるだろうと、なんとなく歩いていく。しばらくすると、他の店とは明らかに浮いた店があった。何で浮いてたかって??

看板がハングルだったのだ。

ああ、『バスはどこから乗ればいいですか?』くらいなら。
はやる胸を押さえつつ近づいた。
薄暗い食堂に『ネンミョン』『ポックンパブ(チャーハン)』『チゲ』などおなじみのメニューが。黒ぶちの眼鏡をかけた主人らしきアジョシに、バスはどこから乗るのかと聞くと、ガーーーッと早口でまくしたてた。・・・全くわからず。

シャーペンと日記帳を見せながら、馬鹿の一つ覚えのようにチド、チド(地図、地図)、書いてくれというジェスチャーをしていると、前髪部分のみを茶色に染めた、ホストっぽい顔立ちをした男が(やや若人あきら似)、日本語で話しかけてきた。
彼はその店に飲料水を納入したところで、ファングーラオ通りのほうへ送ってくれるという。彼はリー・スンウォンさんといい、ベトナムで韓国食品の輸入会社を社長と二人でやっているとのこと。日本には何年か前に語学留学した経験があり、まさかこのようなところで日本語を話すとは思わなかった、と喜んでいるようだった。
彼のおかげで、ファングーラオ通りを少し入ったデータム通りに泊まるところも見つかり、彼はゲストハウスの名刺をポケットにしまうと、こういった。
「あとでベトナム人に迎えに行かせますから会社にご飯を食べに来てください。韓国料理だけど。」と去っていった。

ファングーラオ通り周辺は、タイのカオサンストリートと同じく外国人バックパッカーの溜まり場で、旅をする上で必要なものが全てそろっている便利なところだ。
東南アジアでは、本当に時間がゆっくりと流れていく。けれども気がつくといつのまにか日が沈んでいて、ゆるくて長い夜が始まるのだが、人通りは絶えない。
あちこちのカフェでおじさんたちが、ベトナム式コーヒーの、アルミフィルターからお湯がしたたり落ちるのを眺めていたり、アヒルの孵化直前の卵を肴に、生ぬるそうなビールを飲んでいたり、小さな子供が氷をまぶしたプリンを食べていたり、労働を終えた若い人が「COM」と書かれた看板の食堂で一皿ごはんをかっこんだりしている。

ゲストハウスの二階には二家族すんでいて、そこを通り過ぎて三階の部屋を出入りしなければならなかった。
なので、彼らの生活ぶりを垣間見ることができた。薄暗い台所ではおばちゃんが、刃幅の広い包丁をふりおろしている。ポップな色の洗面器にはなんだかわからないハーブと野菜がたくさん入っている。二日目の夜には、身振り手振りで『ご飯を作ってるところを写真にとってもいいか』と頼んで(撮ってはみたものの暗かったので、現像したらほとんどが焼きあがっていなかった。残念)結局は一緒にご飯を食べたりもした。
魚とパイナップルのスープの味は今でもよく覚えている。
お昼の残りであろう、ひとかたまりになったブン(そうめんみたいなもの)をほぐしながら、彼らはもくもくと食事をしていた。
タムがお茶をいれてくれた。彼女は1階のカフェの主人だ。やや太めで、ふてぶてしい表情の中にも、まだ子供らしいあどけなさがある15歳の女の子だ。
そのお茶のおいしいこと。蓮の花のお茶だそうだ。

家族とのコミュニケーションを円滑にしてくれたのが、いかにもベトナム美人!なファンだった。色が白く、髪はつやつやとした黒、目が大きくてスタイルがよくて、彼女がベトナム語を話すとかわいくてとろけてしまうくらいだった。
(なんか男みたいだなあ)
階段を行ったり来たりするうちに、彼女とよく目が合い、歳が近かったのでいろいろ話すようになった。話を進めていくうち、彼女は服の仕立てが仕事で、半年前まで二年間、韓国の南のほうの縫製工場で働いていたこと、そこのテリニム(代理、工場の監督をしていたのだろう)にお礼の手紙を書きたいことなどがわかった。

「あたし、韓国語で手紙かけるよ!」というと、彼女は郵便代が・・と表情を曇らせた。私がしたいことだからと、言いたいこと言ってみてよ、書くからと日記帳を取り出すと、彼女は嬉しそうに、ゆっくりゆっくりと頭の中にある手紙を読み始めたのだった。
あとで辞書を引いて、おかしいところはリーさんに直してもらえばいいのだから・・
自分がまかせてと言っておきながら、まったくいい気なものである。

到着した日の午後7時半ごろ、750CCバイクに乗ってベトナム人が迎えに来た。
当然のようにノーヘル。大きな通りをガンガン進む。
お、あれは、かの有名なレックスホテル、お、あれはベンタイン市場??
今私はベトナムに来たというのに、どこも観光することなく、二の腕の太いワイルドなベトナム男につかまって、猛スピードでホーチミンを走っております。
しかも向かう先には、韓国料理が待っております・・

鉄の扉がキイイと開いて、リーさんが出てきた。
地下へおりると、薄暗い(本当にベトナムは薄暗いというイメージしかない)照明の下の食卓に見慣れたおかずが。キムチ、レンコンの甘辛煮、ケランマリ(卵焼き)、海苔、カルビチム(牛肉の煮物)。

「ここはベトナムですけど、まあ第一日目は韓国のご飯もいいでしょう。」

カルビチムはベトナムヴァージョンで、いきなりパイナップルが入っていて驚いた。
ベトナム女性を家政婦として雇っていて、彼女は韓国料理を覚えるのは大変だったといった。
唐辛子やごま油等は、やはり韓国から輸入したものでないと味が違うので、必ず送ってもらうようにしているとのこと。白菜はベトナムにもあるのだろうか・・と不思議に思いつつも食べ終わって二階にあがった。
事務机とソファ、テレビしかない殺風景な部屋だった。社長はガウンを羽織り、胸元に金のチェーンネックレスを光らせ、眼鏡をかけ、顔は長め。ビールはハイトだったが、つまみはベトナムのビーフジャーキーだった。
あんまり歓迎されていないのは雰囲気でわかったが、それでも社長は、
「シュリは知ってるか、今日やっとビデオが手に入ったんで見るところだ、見ていけ」とビールをついでくれた。

リーさんが、まだ仕事が残っているので私を連れて、観光ついでに一緒に回るつもりだといい、いつのまにか『夜のお店まわり』についていくことになった。
夜のお店は7時くらいから営業をはじめるので、今ぐらいに行って注文と集金をするのだという。ホットパンツに編みタイツをはいたお姉さんたちが角に立っている通りを、リーさんについて歩いた。
「ベトナムにもいるんですね・・」
「ああ、そうですね・・こういう通りは絶対夜は通ってはいけませんよ、危ないから。」
おばちゃんが立ちションならぬ座りションをしているのを見つけて、結構何でもありなんだな、と納得しながらネオンサインのぎらぎらしたところへと向かっていく。
韓国人の経営するバーやクラブをまわった。そこには、化粧にいそしむ韓国のお姉さんたちがみえた。彼女達はどういういきさつでベトナムにいるのか知らん・・気になる。

「さ、終わりました。付き合ってくださってお礼に今流行ってるお店に連れて行ってあげます。」
まずは、ライブハウスだった。ステージではグループサウンズみたいなのりで、女性ボーカルがサーチャーズのラブポーションNO.9などを歌っていた。
ウェイトレスの制服は二通りで、ミニスカートにベレー帽、アオザイ。
アオザイは普通は学生が着る白色、ブラックライトで光って、これはアオザイ好きにはたまらないだろうなあと、また男の気持ちに。
そこでバドワイザーをごちそうになり、こんどはホーチミンで一番高いところを案内します、と連れて行ってくれた先は、サイゴントレードセンターという33階建ての近代的な高層ビルだった。絶景かな絶景かな。サイゴン川にネオンが揺らめいている。

リーさんにダラットから戻ってきたら電話をするといった。ダラットはバスに乗って6時間くらいの高地だ。
文学少女と言うにはいい歳をしているが、林芙美子の小説『浮雲』に出てくるダラットに行くのが、今回のベトナム旅行の目的であった。そこで坂だらけの街を、バインミー片手に歩くんだわー、と一人でウットリしていると、

「犬は食べたことありますか?」
「は?」
「ベトナムの犬鍋もなかなかです。あなたはそんな高級なものを食べられるような旅行をしているのではないのだから、私がおごってあげます(笑)。」
リーさんはニコニコ顔だ。
32階のしゃれたバーで犬鍋の話をするよりは、有名なベトナム料理レストランの話でもしたかったのになあ・・ちなみにこの時点ではまだ犬鍋は食べたことがなかった。

ダラットやメコンデルタツアーについての話はここでは省略する。よくあるアジアでの、理不尽な目に遭いまくりのトラブル日記なので・・

ダラットから戻ってきた。早速リーさんに連絡を取ろうとするも名刺が見つからない。リーさんという人から電話があったら伝えてほしい、その名刺を見せながらタムに説明したのが最後だったと思い出した。その時に電話台に置いて来てしまったかもしれない。急いで1階に下りていって聞いてみるが、ないという。
よくさがさせて、と書類のようなものがかさばっているところに手を伸ばすと、何かとられると思ったらしく大きな声で何かわめく。
あそこにきっとリーさんの名刺があるに違いないのに。結局ベトナム出発の当日、お金を払う時にファンがいたので、彼女に事情を話すと名刺を探させてくれた。
名刺はそこにあった。
タムに、ビニール袋を渡し、電話をしてもいいかときいた。
その袋の中身はサボテンである。
国営デパートに一緒に行ったときのことだ。タムはそのサボテンを見つめたまま動こうとしなくておばあちゃんに叱られた。その時のタムの、子供らしい表情がずっと頭から離れなかったから、最後の日にプレゼントしようと、もう一度デパートに行って買っておいたものだ。
彼女はおそらく、いろいろなバックパッカーからプレゼントをもらっているだろう。
彼女は受け取る時に『カムオン(ありがとう)』と、相変わらずのふてぶてしい顔でさっとお礼を言ってにやっと笑った。大げさに喜ばれないのが返って気が楽だった。

電話を貸してもらって、早速リーさんに電話をかけた。少し怒っていた。何度もゲストハウスに電話したんだけど、というがタムは取り次いでくれなかったのだ。

サボテンなんかあげるんじゃなかった。

最後に会いたいですし、空港まで送っていってあげますから、そのまま待つようにといわれ、最後の最後まで親切なリーさんであった。タンソニャット空港で別れ際、彼は手帳をぺらぺらめくりながら、一人の男性の消息を知りたいと、可能なところまで調べてくれという。日本に留学していた頃、焼肉屋のバイト先で親しくしていたそうで、彼の連絡先をもらった。

リーさんの、最後が『vn』で終わるメールアドレスをもらい、日本についたらすぐ調べると約束して別れた。

犬鍋、食べ逃してしまったな。