ある夏。

この日もひどくブルーで、大黒ふ頭にある某所でのアルバイトを終えてバスを待っていた。

ベイブリッジへと向かう高架下を大型車が勢いよく通り過ぎていく。
その時の風はとても強い。
帽子をしっかりと手で押さえていないとあっという間に飛ばされてしまいそうだ。

時刻表というものをあまり見ない。来たバスに乗ればよい。
いつもの鶴見駅行きを生麦行きと間違えた。それに気がついたのは、バスにいた人が全員、とあるバス停で降りていって、私だけが残りそうになったときだった。

運転手さんにマイクで、“お客さん、この後車庫に行くだけですけど降りないんですか?”といわれてあわてて降りた。

バス停のすぐ目の前に仕事着を売るお店があって、軒先はアーケードになっていた。

先ほどバスの窓にななめの線を描く雨は、そのときよりも勢いを増して強く降る夕立に変わった。
バスから降りた人たちとアーケード下で集団雨宿り。いつのまにかできたきれいな列に人々はあわせて並び、それぞれが空模様をうかがっているのがおかしかった。

雲は負け犬が退散するかのよう。そんなスピードで走り去っていく。

金魚模様のハンカチをひろげて頭にのせ、横断歩道を渡った。
渡った先に毎朝バスで通り過ぎるたび心ときめく建物があった。建築のことは全くわからないが、最近はっているココロのアンテナにそれはいつもひっかかっていた。

いつかあの建物を近くで見てみるぞ!と思っていたのだが、偶然というかたちで対面することができた。

お店が2,3軒入っているコンクリートの建物で、青いトタン屋根、壁の上部にシンプルな四角模様の浮き彫りが施されていて、それは直線的にいくつも並んでいる。

この建物が昭和初期のものだったらいいなあ、と建物をひとまわりすると路地へ入った。
場末ムード満点なスナック、ダクトのかなり汚れたラーメン屋などの飲食店が軒を連ねていた。路地全体がかなりいい感じにうらぶれている。

パチンコ屋の前で雨が止むのを待つことにした。

自動ドアが開くたびに、中から大音量の音楽とありとあらゆる電子音、パチンコ玉の音が流れてくる。タバコの煙も流れてくる。
場所を移そうかなあ、とも思ったが、目の前にある『さかなや』という立ち呑み屋の、アルミ戸がガララと開くたびに見える中のディープな様子に動けなくなってしまっていた。

ダラリとのびきった短パンをはいているおじちゃんが出たり入ったりしているし、きったないばあさまがそのたびにチラチラと見えて気になってしょうがない。

平日の夕方から赤い顔しているおじちゃんとおばちゃん。とても楽しそうに見えた。

私のブルーがウキウキに変わっているのがわかった。

自分だけに聞こえる声で、やっぱこういうノリだよなあ、とつぶやいていると、

「すぐに止みそうだけどねえ、この雨」

とふいに後ろから声が聞こえた。

振り返ると、安っぽいアクリルの大きなスカーフを頭からかぶったばあさまが、私に声をかけているんだか独り言なんだかわからない微妙な距離感をもってそこにいた。地味派手な花柄のワンピースに、しわしわのスカーフ。

「夕立ですから、すぐやむと思いますが・・・・」

私も聞こえるか聞こえないかの声で一応答えた。しばらく私とそのばあさまは黙って、ブシャブシャと降る雨を見ていた。
『ああ、パチンコ屋から出てきた小汚いばあさまと夕立が止むのを、黙ってみている私・・・なんて素敵なんだ。』とうっとりしてしまった。
夕立よりも先にココロのブルーがそれ以上重くなるのをやめた。晴れた、完全に。
目の前の風景も明るく見えはじめて来た。風景って気分でできているんだとあらためてわかる一瞬。

「傘でも借りてくかね。」

とそのばあさまは“さかなや”に入っていった。いいなあ、いきつけなのかな
ビニール傘を広げると、駅とは反対方向に歩いていってしまった。
パチンコ屋から何軒か飛び石のように雨宿りをして駅についた。

トイレからの匂いがきつい生麦駅。
このあたりの空はとてもせまく感じられて、建物はなんとなく殺気を帯びていて、いつもイメージは灰色だ。けれども人間の匂いがそこらじゅうにたまっていてほっとする。

その日から生麦駅で降りて京浜急行で帰ることにした理由、わかってくれると、いいな。