中華街の関帝廟通り沿いに秀味園という台湾家庭料理屋がある。 小さなお店でテーブルが二つのみ。奥の座敷へ上がれるようになっていて、 知り合いの華僑の友達のところに遊びに来たら、声をかけられて思いがけなくお母さんのご飯を食べることになった、そんなまったりした雰囲気いっぱい。楽な気分で家庭料理を楽しめる。 人気メニューは、台湾のぶっかけ丼もの“魯肉飯”。 厚みのある豚のばら肉がぼこぼことのっかっており、その横に刻んだ高菜とそぼろ肉、煮卵のハンペタが添えられている。 ボリュームいっぱいのこのどんぶりは、たったの500円なのだから驚いてしまう。 店のメニューのほとんどが700円以下。中華街に来るとまずここに寄る。 茉莉花茶でほっとしていると、すぐにその丼はやってくる。 丼を持ってごはんをかっこむのが何よりの幸せ。 どれくらいの人を連れてきて、“これを食べて!”と言ってきただろう。
ある日のこと、何も変わらないお店に一つの変化があった。 “タピオカミルクティー”という品書きの紙が壁に貼ってあった。 これが珍珠奶茶(チンジュナイチャ)との初めての出会いであった。 ナタデ・ココやスイートバジルの種などの新しい食感のデザートが はやりだしていた頃。
「おばさーん!これ初めて見ました!作ってください!」 興奮気味にオーダーすると、店のおばさんはアイヤー、たのまれちゃった!とでもいうように面倒くさそうに材料をのろのろとそろえ始めた。 ゆっくり待っていると、プラスチックのコップにミルクティー、その中に大粒の茶色くて丸いものがゆらゆらしていた。 おばさんがストローを持ってきた。見たこともない太さのストローである。 ふたに穴が開いていて、そこに差し込むとテーブルに置いた。 ズロロローーと吸うと次々と飛び込んでくるタピオカ。この食感。
ミルクティーのベージュ、タピオカの茶色(黒だけど)、ストローの黄緑の色の組み合わせ。 おばさんに黒タピオカの売っているお店を聞いたが、台湾から送ってもらったもので、まだ中華街では扱ってないかもねえ、と一言。 探すのが難しければ難しいほど燃えるではないか。それから食料品を扱うお店というお店を回った。タピオカミルクティーを作りたいわけではなく、 ただただ見つけたときの喜びのためのみに。
どこの店でも小さいタピオカはすぐ出してくれるのだが、大きな黒タピオカはなかなか見つからなかった。 秀味園のタピオカミルクティーも二度と飲むことはなかった。 「あれねー、めんどくさいからやめたねー。」
黒のタピオカはまさに私にとって“黒の真珠”となった。 その黒真珠と対面したのは、善隣門近くのチャイハネ(アジア雑貨)の横にある“萬勝商事”。 ここは東南アジアの調味料や缶詰が充実している食料品店だ。聞いてみるとあるという。小さな袋にぎっしりと詰まった茹でる前のタピオカは、まるでボーロのようだった。 ここではよく賞味期限の過ぎたものを買わされるので、一応裏をみると、 「84年○月○日」 と打ってあった。84年???? 「これ、まさか1984年ってことはないですよねえ??」 「大丈夫大丈夫!平成みたいなものだから!
これは台湾の年号なんだそうだ。(※1)
やっと手に入れたタピオカを友人に自慢したくて、さっそく彼女の家に泊まりに行くときに持っていくと約束した。 「普通のタピオカの2倍以上はあるんだから!」 「へー、すごいねえ。」 「で、黒いんだよ、っていうか茶色なんだよ!」 「はいはい。」 彼女は紅茶にはなかなか凝るほうだったので、いろいろな紅茶があった。 濃いめのミルクティをいれておく。
裏の説明書きがまったくわからず、袋ごと鍋に入れて適当に水を入れてゆでた。ほっといたらみごとくっついてネチネチして水で洗っても離れてくれない。それでもなんとかグラスに入れてミルクティーを注いだ。
おいしくない。
タピオカをスプーンですくってミルクティーを飲んでもちっともおいしくないのである。 そう、そうなのだ。あれは極太ストローでズロロロロローと吸って食べるからおいしいのだ。
タピオカミルクティーへの情熱が冷めた頃、中華街ではQQミルクティーという名前でメインストリートでも売られ始めた。 中華街でのスイーツの流行というのは、とてもわかりやすいので流れをみるのは非常に面白い。 (関係ないけど、やせる海藻石鹸の時はほんとすごかった!)
そして、5万人いるともいう在上海日本人の中でも、黒タピオカ消費量のかなり上位にランクインしているのでは?とくだらないことを考えながら毎日のように飲むタピオカミルクティー。今ではタピオカの“ゆで”がよいところ、紅茶がおいしいところ、パッケージがかわいいところ・・と個性を楽しめる余裕も出てきた。 いつでもどこでもズロロロといきたいね。
※台湾の年号は“民国”、西暦から11を引いたものだそうです。
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