短編
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隣で心地よく眠っていた彼女が、僕の手を持つとまじまじと見つめはじめた。 「ああ、これ?テントウムシのせい。」 「え?噛まれたの?怪我したのが残っちゃったの?」 そうじゃなくて、と僕はこの前あったことを話し始めた。 この前の日曜日、夕方にさ、窓を開けっぱなしにしてタバコを吸ってたんだ。 次の日会社から戻ってきて部屋の電気をつけると、まだなんとなく気配を感じる。
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新宿西口の思い出横丁は、終戦直後の闇市のような雰囲気を今も色濃く残している通りである。安食堂・安呑み屋が軒を連ねていて、流れてくる焼き物の煙に顔をしかめながら、そぞろに歩くのは楽しい。 がたつく丸いすに座り、バランスをつかむとソイ丼をたのんだ。 「じゃあ、それください。」 私の横でビールを飲んでいた親父がひとりごとのように、 「今、おいも高いですね、中くらいのでも500円しますよ。」 そんなにするかなあ、と会話を聞きながら、不恰好な細長い器に、いい加減に盛られたおいも煮に箸をつけた。 酔っ払いの親父の独り言が店内に響いている。 親父は、今この店にいる人たちをこれからカラオケに連れて行ってやる、とおしんこをちょびちょび食べながらいった。 店の人がスプーンに何かのせてそれを一点に見つめ、真剣な顔つきでこっちに来ようとしているのが見えた。 何をしているんだろうと思ったら、私のおいも煮の皿にポトンとおいもを一つ落として、にかっと笑った。
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8時までの残業を終えて彼女は家に帰る。 生活感のない彼女の部屋は、見ようによっては洒落ている。 時間のあるときに無印良品で一通りそろえ、インテリア雑誌を少し参考にしただけだ。 彼女は玄関マットの上に、3つのビニール袋をいっぺんに置いた。
テレビだけが彼女の顔をいろいろな光で照らしているのではなかった。 “あーお母さんだけど、明日の夜こっちに帰ってこれない?お父さんが休みだから、みんなでステーキでも食べに行かない?” チーズケーキを食べていたときに、それが来た、と彼女は思った。 トイレに入って座り込むと、人差し指を口の中に入れて舌を強く押した。 流れる水を、彼女はなみだ目でずっと見ていた。 彼女は携帯電話の電源を切り、充電器にセットするとベッドに洋服のまま寝転んだ。
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