JR関内駅は降りればすぐに横浜市役所、大通り公園、オフィスビル街の日本大通り、ちょっと歩けば伊勢崎町モールと馬車道という楽しい通り・・・と大変使い勝手のよい駅である。



この駅のすぐ近くに大きなオフィスビル“CERTE(セルテ)”がある。
昔はセンタービルと呼ばれ、7という数字の入った空色のロゴがイカしていた。
今は他のビルと同様、すっかりみなとみらいの商業地区にお客を取られてしまい、地味なオフィスビルの一つでしかなく、改修してももの悲しい昭和の雰囲気が漂うのみで人はもういない。

このビルのレストラン街にある銀座スエヒロ。このお店でのランチが幼い私にとって最高の楽しみであった。
馬車道店のほうが高級感のあるレストランで、食後にメロンなぞが出てきて非常に高級な気分になれるのだが、白いお皿にステーキがのせられてくるのを両親は気に入らなかった。
単に馬車道店が非常に高いので、サービスタイムをもうけていたセンタービル店に行っていただけだと思うのだが、黒くて重量感のある鉄板に、ジュージューいいながらサーブされるセンタービル店のほうが子供には断然楽しいに決まっている。

落ち着いた深緑色の椅子、真っ白いテーブルクロス。
テーブルには、関取の絵が描かれた紙製のランチョンマットがしかれており、その関取が『ああ、この量がうまい!』と笑っている下には適量のビールの注ぎ方を説明した文章が書いてある。
関取が本当においしそうな顔をしているので、早く大人になってビールという飲み物を飲みたくて仕方がなかった。
席についてしばらくすると、牧場牛乳が小さなコップでやってくる。
濃い目の牛乳をゴクゴク飲むと、次はサラダだ。キャベツとニンジンの千切りで、たまになぜかスパゲティが入っていた。スパゲティにあたった人はその日はついてない、と家族で決めていたのでスパゲティがあるかどうか探すのも面白かった。
サラダとメインは時間があく。ああ、もう早く来ないかなあ!とそわそわしていると、父が
「そろそろ、おまえたち用意をしなさい。」とオゴソカにいう。
その関取紙マットの三分の一ほどをテーブルに置き、あとは自分側で持って待つのだ。

幸せの音が聞こえてくる。店員さんがニコニコしながら
「熱いので気をつけてね!」と体を低くして私のところに鉄板を置く。
関取紙マットの向こうから聞こえてくる音。
ピチピチはねた油が小さなシミを次々と作る。関取紙マットで油のはねるのをちゃんとおさえているというのに、みんなは大げさに体を鉄板から反らせて待つ。
落ちつくと、マットを皿の下からすうっと抜いて、いただきます!

子供には重いカトラリー。その重みがまたイベント性を盛り上げる。
はじめは父や母が切り分けてくれたのだが、ステーキと遊びたいではないか。
付け合せのポテトをフォークで差す、コーンを上手に集めてすくって食べる。そのたびにカチャカチャという金属音。

当時800円のサービスステーキ、子供にはおみやげまで持たせてくれた。
しっかりとした紙袋の中には、ポンジュースとあんこの入った白い薄荷飴が入っていた。
この薄荷飴を一つ口にほうる。その飴が小さくなってとがりだしてくる頃に、父の車が車庫から
出てきて大きなターンテーブルに載る。ゆっくり回転して方向が整うと父が得意気にアクセルを踏む。その出発の感じがとてもかっこよくて、私たちも勢い良く車に乗り込む。

いつなくなってしまったのだろう、銀座スエヒロセンタービル店。
もちろんこの店がなくなってから一切センタービルには行かなくなった。