何かすっきりしない気持ちで、釜山駅からセマウル号にのってソウルに戻った。 4号線に乗り換えて、ふたたびアニャン市へ。呼び鈴を押すのがひどくためらわれた。 ヨンテさんが、迎えてくれる。私は私で長旅でつかれきっていた。
しかしやることをやらねばならない。それは成田行きのチケットを買うことであった。 今回の旅行は、福岡から出発したので、福岡に戻る分はある。 それを捨てて、これからソウル発の往復を買えるように、ソウルー成田のチケットを買うことが必要であった。韓国でチケットは買ったことがない。 そのときはインターネットも不慣れで、もちろん韓国語も話せない。 ヨンテさんにきくと、ソウルのシチョン(市庁)付近に旅行会社が集まっているから、直接行って買うのがいいといった。 市庁は、地下鉄の出口が非常に多く、道路が広くて地下を通ってわたるところが多い。 向こうに行きたくても、階段を上ればあさっての方向にでてしまい、よし今度は間違えないぞと、表示とにらめっこして階段を上っても、また違うところに出てしまい・・と 不案内な人間にはこの上なく複雑な場所である。それでも何とか旅行会社を見つけて、 チケットがあるかどうかを聞く。
ソウル-成田間は常に混んでいる路線である。私が帰る予定の日は、とても混んでいて ノースウェストもユナイテッドも、大韓も席はないという。 わけわからない外国人を早く追い返したいから、席がないないと言ってるようにも見えてきた。 『JAL
もANAも JASもないんですか???』 通じず。この人たちバカなんじゃないかしら、と怒りをあらわにする私。 このときは知る由もない、JALが『ッジェル』JAS
が『ッジェス』といわないと通じにくいことを。英語はコングリッシュ(韓国語なまりの英語)でわからないし。言葉が通じないことで、チケットも満足に買えない・・くやしくて涙が出そうになった。 でもどこに行けば買えるのかもわからない。 今なら、航空会社のオフィスに行くとか、チョンノのトップ航空(安い旅行会社)とか すぐに思いつくが、道に不案内で一人では行くのは大変だし、言葉の問題もあってひとりで用事を済ますのはきついだろう。 しょうがない・・ヨンテさんに電話してもらってチケットをとってもらおう・・
ヨンテさんは、その日は休みだったので家にいた。 「チケット買えたの?」 「あ・・その・・実は買えなかったので、ヨンテさんに電話で予約してもらえないかなって・・片道でもかまわないから・・とにかく明日帰らないと・・バイトもあるし・・」 ヨンテさんがチケットを渡しながらこういった。 「ヒョンスニム(お兄さんの妻)が、タイ航空で仕事してるって言ったでしょ。彼女に頼んで大韓航空の片道とったから。これでわかったでしょ、きみはちっともINDEPENDENT な女の子じゃない、自分の弱いところをちゃんと認めなきゃ。」 「イ・・インデペンデントじゃないって、どういうことですか??!私のことさんざんほめてたくせに、女の一人旅は勇気があるとか何とか!」 「タイはさ、あそこは旅行するには本当に何でもそろってる、だからあまりよくわからなくても何とかなる。でも韓国に来てからの君はさ、一人じゃ何もできなかったじゃないか。それじゃだめだよ。周りから助けられてるってことをもっと知って、感謝の気持ちをもっていなきゃだめだよ。 」 つまり私が自分ひとりで何でもできると、いい気になっているのを注意したいらしかった。説教なんか聞きたくないぞ、自分はタイで病気もらってきたのと違うのかい! といいたいがいえない。
「なんで私にそんなこというんですか・・私はまさかヨンテさんが新しい布団までかって、まさか家に泊まらせてくれるなんて考えてもいませんでした。チケットのことはありがとうございました。いくらですか。」
リュックのポケットから取り出した封筒は、もうぼろぼろだった。 そこから27万ウォンを出して彼に渡した。 彼にそこまで言われるのが正直よくわからなかった。 最後に彼がこういった。
「海外で暮らしたいって、いってたよね。もっともっと強くなったほうがいいってことだよ、僕が言いたいのは。」」
他の人に恩を返す
このアニャンのアパート群からも、空港行きのバスが出ているのには驚いた。 朝7時過ぎ、ヨンテさんは疲れているのにもかかわらず、一緒に起きてくれて荷物をまとめるのを手伝ってくれた。 アボニムにあいさつをする。彼は私にカッターの刃のセットを買って送るように頼んだ。代金をもらうのは嫌だったのだが、2万ウォンを私に握らせた。住所を書いた紙をもらうと私はヨンテさんと、バス停に向った。 バスが来た。 ヨンテさんは、ムギューーと私を抱きしめながら、言う。 「僕からうけた親切は、僕に返す必要はないよ、君は他の人に返していくんだよ。それが韓国のスタイルだ。」
日本に40日ぶりに戻った。バイト先でみんなが帰ってきたことを喜んでくれた。 バイトが終わった後、東急ハンズでカッターの刃セットを買った。 そのまま地下におりて、牛肉の時雨煮を買った。 それと一緒に、はがきを書いた。表にはタイ美人の絵を描いて。 次の日にEMSで送った。受け取ったという返事は来なかった。
しばらくして気がついた。あ、牛肉の時雨煮をヨンテさんに送るんじゃなくて、これから出会う人に返していくのが韓国スタイルだったっけ。 その後、韓国に来たときに、一度だけヨンテさんに連絡をしたことがある。 しかし彼は携帯に出なかった。実家に電話してみた。 母親が出た。息子はアメリカで働いている、と短く言って電話を切った。 私は彼の名刺をそのへんのゴミ箱に捨てた。
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