海外であった韓国の人々
No.3



 説教というか

 

 何かすっきりしない気持ちで、釜山駅からセマウル号にのってソウルに戻った。
4号線に乗り換えて、ふたたびアニャン市へ。呼び鈴を押すのがひどくためらわれた。
ヨンテさんが、迎えてくれる。私は私で長旅でつかれきっていた。

しかしやることをやらねばならない。それは成田行きのチケットを買うことであった。
今回の旅行は、福岡から出発したので、福岡に戻る分はある。
それを捨てて、これからソウル発の往復を買えるように、ソウルー成田のチケットを買うことが必要であった。韓国でチケットは買ったことがない。
そのときはインターネットも不慣れで、もちろん韓国語も話せない。
ヨンテさんにきくと、ソウルのシチョン(市庁)付近に旅行会社が集まっているから、直接行って買うのがいいといった。
市庁は、地下鉄の出口が非常に多く、道路が広くて地下を通ってわたるところが多い。
向こうに行きたくても、階段を上ればあさっての方向にでてしまい、よし今度は間違えないぞと、表示とにらめっこして階段を上っても、また違うところに出てしまい・・と
不案内な人間にはこの上なく複雑な場所である。それでも何とか旅行会社を見つけて、
チケットがあるかどうかを聞く。

ソウル-成田間は常に混んでいる路線である。私が帰る予定の日は、とても混んでいて
ノースウェストもユナイテッドも、大韓も席はないという。
わけわからない外国人を早く追い返したいから、席がないないと言ってるようにも見えてきた。
『JAL もANAも JASもないんですか???』
通じず。この人たちバカなんじゃないかしら、と怒りをあらわにする私。
このときは知る由もない、JALが『ッジェル』JAS が『ッジェス』といわないと通じにくいことを。英語はコングリッシュ(韓国語なまりの英語)でわからないし。言葉が通じないことで、チケットも満足に買えない・・くやしくて涙が出そうになった。
でもどこに行けば買えるのかもわからない。
今なら、航空会社のオフィスに行くとか、チョンノのトップ航空(安い旅行会社)とか
すぐに思いつくが、道に不案内で一人では行くのは大変だし、言葉の問題もあってひとりで用事を済ますのはきついだろう。
しょうがない・・ヨンテさんに電話してもらってチケットをとってもらおう・・

ヨンテさんは、その日は休みだったので家にいた。
「チケット買えたの?」
「あ・・その・・実は買えなかったので、ヨンテさんに電話で予約してもらえないかなって・・片道でもかまわないから・・とにかく明日帰らないと・・バイトもあるし・・」
ヨンテさんがチケットを渡しながらこういった。
「ヒョンスニム(お兄さんの妻)が、タイ航空で仕事してるって言ったでしょ。彼女に頼んで大韓航空の片道とったから。これでわかったでしょ、きみはちっともINDEPENDENT
な女の子じゃない、自分の弱いところをちゃんと認めなきゃ。」
「イ・・インデペンデントじゃないって、どういうことですか??!私のことさんざんほめてたくせに、女の一人旅は勇気があるとか何とか!」
「タイはさ、あそこは旅行するには本当に何でもそろってる、だからあまりよくわからなくても何とかなる。でも韓国に来てからの君はさ、一人じゃ何もできなかったじゃないか。それじゃだめだよ。周りから助けられてるってことをもっと知って、感謝の気持ちをもっていなきゃだめだよ。

つまり私が自分ひとりで何でもできると、いい気になっているのを注意したいらしかった。説教なんか聞きたくないぞ、自分はタイで病気もらってきたのと違うのかい!
といいたいがいえない。

「なんで私にそんなこというんですか・・私はまさかヨンテさんが新しい布団までかって、まさか家に泊まらせてくれるなんて考えてもいませんでした。チケットのことはありがとうございました。いくらですか。」

リュックのポケットから取り出した封筒は、もうぼろぼろだった。
そこから27万ウォンを出して彼に渡した。
彼にそこまで言われるのが正直よくわからなかった。
最後に彼がこういった。

「海外で暮らしたいって、いってたよね。もっともっと強くなったほうがいいってことだよ、僕が言いたいのは。」」

他の人に恩を返す

このアニャンのアパート群からも、空港行きのバスが出ているのには驚いた。
朝7時過ぎ、ヨンテさんは疲れているのにもかかわらず、一緒に起きてくれて荷物をまとめるのを手伝ってくれた。
アボニムにあいさつをする。彼は私にカッターの刃のセットを買って送るように頼んだ。代金をもらうのは嫌だったのだが、2万ウォンを私に握らせた。住所を書いた紙をもらうと私はヨンテさんと、バス停に向った。
バスが来た。
ヨンテさんは、ムギューーと私を抱きしめながら、言う。
「僕からうけた親切は、僕に返す必要はないよ、君は他の人に返していくんだよ。それが韓国のスタイルだ。」

日本に40日ぶりに戻った。バイト先でみんなが帰ってきたことを喜んでくれた。
バイトが終わった後、東急ハンズでカッターの刃セットを買った。
そのまま地下におりて、牛肉の時雨煮を買った。
それと一緒に、はがきを書いた。表にはタイ美人の絵を描いて。
次の日にEMSで送った。受け取ったという返事は来なかった。

しばらくして気がついた。あ、牛肉の時雨煮をヨンテさんに送るんじゃなくて、これから出会う人に返していくのが韓国スタイルだったっけ。
その後、韓国に来たときに、一度だけヨンテさんに連絡をしたことがある。
しかし彼は携帯に出なかった。実家に電話してみた。
母親が出た。息子はアメリカで働いている、と短く言って電話を切った。
私は彼の名刺をそのへんのゴミ箱に捨てた。