通っていた高校があまりにもつまらないので、よくさぼって行ったのは石川町、つまり元町と中華街、そして鎌倉と江ノ島だった。後者はちょっと遠いので中華街ばかり。 様々な食材とエスニック雑貨を見ているとあっという間に時間が過ぎた。一人暮らしをするときに必要な雑貨はほとんど中華街でそろえた、だって安いから。
なんとなく“中華街の中華料理はおいしくない”というイメージが家族の中にあり、それとあまりにも店が多すぎるのでなかなか行きつけを見つけられず、よっぽどのことがない限り中華街にご飯を食べに行くということはなかった。単に“本場の味”が口に合わなかっただけなのだろうが。
バイトをして自分の小遣いを自由に使えるようになると、友人と大きなイベントであるかのように、ちょっとした裏通りのお店へ並んでは、ほんの2、3皿を頼んで3人で食べた。 梅蘭のオムレツ焼きソバ、徳記の豚足ソバ、上海亭の牛モツソバ、牡丹園の蒸しカステラに牛バラご飯。 自分のお金で中華街でご飯を食べることで、ちょっと大人になったような気がしていた。
初めての本格的デート!江戸清の豚まんを買ってもらい、食べながら元町を通って坂を上る。 丘公園の手前にあるガラス工芸博物館のティールームで、向かい合わせで飲む紅茶が非常に気恥ずかしく、どこに目をあわせていいかわからない若い二人、17歳。 そんなうっとりするデートも、回る寿司形式の飲茶をたくさん食べて驚かれたのも、ちゃちい子供用のお風呂椅子を買ってもらったはいいけど、家に帰って座ったらやっぱり壊れたのも、全てもう昔のお話。 いろいろな思い出がつまっているのだが、中でも一番はやっぱり父だ。
学生の時できるバイトは何でもやった。憧れの場所でバイトってしたいもの。 自分の場合は、中華街・元町・みなとみらい地区だった。 中華街のメインストリートから一つ奥に入ったあるお店に、配膳というかたちでウェイトレスをすることになった。 他のアルバイトとかけもちだったので、週末の二日をその料理店で過ごした。 店長は華僑っぽかった。 てらてらと額を光らせ、でっぷりと太ってはいるが動きは機敏、いつも何かしらケチをつけているような男だった。 店長というのはもともと思い切り慕われるか、思い切りみんなから嫌がられるかのどちらかである。そうでないと店員をひっぱっていけないものだ。この店長は後者であった。 言われたとおりに動かないとすぐに怒鳴った。お客さんのいないときにぼーっと観葉植物の陰に隠れて突っ立っているわけにもいかないので、拭き掃除をしていると余計なことをするな、と怒られた。 高校生の時にデニーズで鍛えたバイトとしてのサービス精神が空回りして、店長の機嫌を損ねてしまう。店長のやりかたがどう考えても効率悪く、言い方もぞんざいで気に入らないのがおそらく顔に出てしまっていたのであろう、店長は私をあからさまに嫌った。 午後2時を過ぎたころ、遅い賄いのタンタンメンを厨房の入り口近くに立ちながら食べる。 タンタンメンはとてもおいしくて、この賄いのために続けるべきかと思うほど。
店長に気に入られずどちらかというとケチつけられる私に、親切にしてくれたお姉さんが一人いた。 彼女は、先輩としていろいろていねいに教えてくれた。彼女がいなかったらすぐにバックレていただろう。
一本路地を入るときれいな色をした住宅が並ぶ
時給も高いわけではない。ただ中華街が好きだからその真ん中でバイトしてみたかった、そんな安易な考えをした自分が嫌になってきた。 やめるのは簡単だ。しかしまたアルバイトを探さなければならない。履歴書を書いて、写真を撮って、面接をして、連絡を待って・・・その過程を繰り返すと思うとうんざりした。 45分の休憩の時、走って山下公園に行った。そこにいられる時間はものすごく短いのだけれども、窒息しそうな自分に潮気を含んだ風が心地よく、灰色がかっているけども海の青はどこまでも光っている。 はあ、もう今やってるバイトみんなやめたいな、学校もやめたいな・・・何にもしない日々を半年くらい過ごせたら楽だろうなあ・・・でもやめてどうする? バイト初日に雑貨屋で急いで買ったカンフーシューズを、脱いだり履いたりしながらいろいろ考えた。 2週間目。 山下公園でぼーっとしたあと休憩から戻ってきて、自分のポジションに戻った。
「2時になったらあがんなさい。」 「はい?」 「2時になったら帰っていい。おまえ見てるとイライラする。」
そんなことを言われたのは初めてだったので、驚いた。今までバイトはバックレは何度もしたけれども、いきなりクビと言われたのは初めてだ。 クビになるかもなあと思う前に自分からやめたことは何度もあったけれども・・・・ やはり顔に出てしまっていたのだな。いけないなあ。
今まで働いた分をすぐもらえるようにしておいてくれ、もう二度と来ることないと思うんで、というと来月末に給料は渡すからそのときに来いと言う。こんなところもう来たくないんです!じゃあ銀行振り込みにしてください、口座番号教えるので、といっても無視。当たり前か。
料理店のビルの屋上にプレハブ小屋があり、そこが従業員の部屋になっていたのだが、リボンタイを外してせっかく買った白のシャツをたたんで、下に降りた。 この日は日曜日。たくさんの人でにぎわっている中で、自分はクビといわれてスゴスゴ帰るのかと思うと、なぜか怒りがフツフツ。
怒りたいのは店長の方かもしれないが、今にいう逆ギレモードで平常心を失った私は、忙しそうにしている店長を従業員出入り口の開けっ放しのドアから見つけるなり、何か一言罵りの言葉を吐くと同時に持っていたカンフーシューズを店長に向かって投げつけた。 片一方が、最悪なことに私に親切にしてくれていたお姉さんに当たってしまった。 「きゃああ!」 お姉さんの声が聞こえる。この野郎!と店長が大きな声を上げてこちらに向かってきたので、急いで逃げた。 小さな通りには人がぎゅうぎゅう。どいどいて!とガンガンぶつかりながら夢中で逃げた。 天津甘栗の香ばしい匂い、中華まんのふかす蒸気、様々な中国野菜に珍しい南国のフルーツ、派手なみやげもの・・・後ろをふりむけば店長が追いかけてきている!
元町の方まで走って、横断歩道のところで落ち着いた。 あああ・・・給料をもう取りにいけなくしてしまった!! 家に帰って、母にことの一部始終を話した。店の名前も店長のことも、お姉さんのことも、靴を投げたことも。おまえらしいけど、いい加減大人になったら?と呆れていた。
鳩はいつもこのアングルで見てる気がする
給料日がやってきた。わずかな金額だがあるのとないとではそれでも全く違う。 この日ほど中華街が自分に意地悪に見えたことはなかった。非常に気が重い。天気までも悪くて傘を開いたり閉じたり。 店が見えてきた。店長がレジのところにいた。 自分のやったことに反省していたので、うつむいてガラスドアを引いた。
「あ、君か。待っていたよ。」 今・・・私を待っていたと今言ったのですか?? こちらから切り出すことなく、彼は白い封筒をレジカウンターに置いた。 びっくりしつつも、頭を下げる。 「この間は、本当に失礼なことをしてすみませんでした。」 「いや、この前のことはもう済んだことだから。最近元気にしていたの?」 考えられない優しい口調である。 封筒をかばんにしまうと、もう一度深く頭を下げた。 店長の態度が飲み込めず、しかしもらったものはもらったのでガラスドアを開けようとしたときである。 「いいお父さんじゃないか。」
予想だにしない一言。
「父が、ここに来て何したんですか???」 「頭を下げに来たんだよ、靴投げた娘の父だって。給料を取りに娘が来たら何も言わないで渡してくれって。なんかおしゃべり好きそうな面白いお父さんだね。」
母もおしゃべりだ。そして父はこの約1ヶ月私に何も言わなかったということだ。 その日の夜、電話の横に置いてある、カレンダーを何等分かに切ったメモに手紙を書いた。 父が明け方5時ごろ帰ってきて、コンビニ弁当を食べながら録っておいたビデオを見るから。 起きてから直接ありがとう、というよりは、あれ読んだ?というほうが恥ずかしさが少し薄れるというものだ。
朝起きて1階に下りると、まだ父のいた跡がわかるような、そんな部屋の暖かい空気だった。 思ったとおりにテーブルの上にはカレンダーのメモが書いてあり、大きな字で相変わらず“自分の字はきれいなのだ”と自慢している達筆で返事が書いてあった。
『もうおまえは22なんだよ。少しは考えてください。今朝おまえの学校の教授先生様を乗せました。おまえのことを話すと就職の口を紹介しようかといってたぞ。おまえは一体何をどうしたいんだ。 お父さんより。』
教授先生様か。そこでくすりと笑って、母に見つかる前に自分の部屋に戻ってそのメモをスクラップブックにはさんだ。 22をあんなに強調されてしまうということは、今度の手紙にはおそらく、30になるんだよと書かれるのかもしれない。そして40になっても父が元気なうちは、そうやって書かれてしまうのだろう。
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