■ 韓国ロックの父 シン・ジュンヒョン

 




 

小さな体に熱いロックの血が流れている!
彼について語るとき必ずつく枕詞を私も迷わず使わせていただきます。

韓国ロックの父!

彼の歴史はそのまま韓国ロックの歴史といっても過言はありません。
彼は中学生のときからギターを良く弾き、在韓米軍向けのラジオ放送を通して外国の音楽を吸収し独学しました。1955年から舞台に立ち始めライブ活動を行い、1962年にADD4(アドフォー)というバンドを結成。(結成以前にもいろいろバンドを組んでいたらしいですが一応このバンドが最初の、シン・ジュンヒョンが結成したバンドということになっています。)
2年後にアルバムを発表。
『ピッソゲヨイン(雨の中の女)』『コピハンジャン(コーヒー一杯)』などの名曲が生まれました。こてこてのGS歌謡です。
5曲目『遅れたら大変だ"のヤア!ヤア!ヤア!』と合いの手を入れるところはまんまビートルズの『she loves you』。
でも、歌詞は「早く行かなくちゃ、彼女が待ってるミョンドンへ」(笑)
ちなみに1枚目のジャケットには『楽しいギターツイスト』と書いてあります。
ご機嫌ナンバーでミニスカートはいて、マチャアキみたいな人と韓国GSで、
ツイスト踊りたい!と歳を忘れた発言が思わず飛び出てしまいます・・

 

 

1967年にブルーズ・テットの名前でアルバム発表。(3番目のアルバム)
米8軍専属のバンドとしてジャズ・ロック・ソウルを演奏していました。
その頃直接米8軍を訪ね、歌手として活動していたソウルシンガー、パク・インスもいました。
続いてはドンキース。イ・ジョンファを採用し、彼の数々の名曲を彼女は情感たっぷりと歌い上げています。ショートカットに黒のワンピース姿。とってもキュートですね。
『ポンビ(春の雨)』『コンニップ(花びら)』『シロ(嫌)』
このあたりの曲ですと、シン・ジュンヒョンの作曲でカラオケで歌ってもみんな知っているので一緒に盛り上がることができます・・
このドンキースのアルバムは素敵な紙ジャケで再発しました。

『シロ/ボンビ(いや/春の雨)』
2002-07-06 Shin Jung Hyun MVD

 

 

クエスチョンズは、固定したボーカルというものはなく、ブルーズ・テッド時代からの縁で、当時コッキリブラザーズ(直訳したら象兄弟だが、エレファントブラザーズとでもしておこうか)のボーカルをしていたパク・インスをはじめとして新人のイム・ヒソク、イム・ソンフン、ソン・マンスンなどを起用し、1970年にアルバムを発表しました。その中でも大ヒットしたのは、パク・インスの歌う『ポンビ(春の雨)』でした。隠れたソウルの名曲『ヨボセヨ』を歌ったのも彼です。『ヨボセヨオオオ』とシャウトされたら、腰が砕けます。当時日本にこれだけ熱いソウルを歌いこなせた歌手はいたでしょうか?
佐々木功?
その方面には明るくないので何ともいえませんが、すごいとこだな韓国って、と思ってしまうんですね。
この『ポンビ(春の雨)』のヒットと曲の完成度の高さは、韓国にはシン・ジュンヒョンというすごいやつがいるらしい、と日本でも関心を集めるのに十分でした。日本のレコード会社が提示する高いギャラと生活の保障を、彼は拒否しました。
日本に帰化しなければならないという条件があったからです。
シン・ジュンヒョンが日本で活動していたらどうなっていたか・・と想像するのは楽しいですね。

 

 

このアルバム以降、彼の音楽性はサイケデリックへと傾いてゆきます。
1974年、シン・ジュンヒョンとヨプチョンドゥル(葉銭たち:俗語で封建的因習から抜け切っていない人のたとえで、自虐的に韓国人を指すと辞書にあります)のアルバム『ミイン(美人)』が出ます。
映画『美人』を見ていたときは、彼らの60Sファッションと能天気な内容ばかりに気を取られていて音楽はちっとも覚えていないのですが、同タイトルのこのアルバムを初めて聞いたときの衝撃はかなり大きかったです。
ブルースロック、ジャズロック、サイケデリック、果てはプログレッシブまで消化した彼らの演奏は、世界に通用するといっても過言はないです。もっともっと評価されていいはずです。

映画『オアシス』(イ・チャンドン監督)の中でこんな場面がありました。
ソル・ギョング演じる前科ありの男が、チャジャンミョン(韓国のジャージャー麺は真っ黒で甘い)配達をし、お皿を取りにいきます。その行った先の事務所のようなところで親父が花札をしながら、
『モドゥサランハネー(みんな好きーー)』と歌ってます。
それにつられてソル・ギョングも歌って、すぐに外に出ようとしない。
親父はいぶかしがって一緒に歌ってないで早く行けといいます。
この鼻歌が、名曲『美人』と気がついて妙にうれしかったです。

大ヒットした『美人』ですが、ジミヘンとアリランの幸福な出会いによって、生まれたといえるでしょう。とにかくイントロのタイトなギターかっこよすぎ!

ヨプチャンドゥルの第2集は、1975年に出ました。第一曲目の『アルンダウンカンサン(美しき山河)』は壮大なロック詩です。部屋でただ何となくダラダラ聞くにはちょっと長すぎますが。個人的にはシン・ジュンヒョンとミュージックパワーで出した、1980年のアルバムのバージョンが一番好きです。
女の人のコーラスとホーン隊と・・その高揚感!アマチュアバンドを組んでいるおじさん達と車でソウルを抜けて、北のほうへピクニックへ行ったときのことです。運転するロッテ製菓(キシリトールの研究)に勤めるおじさんのマイテープから、この『アルンダウンカンサン』が流れてきました。横には漢江(ハンガン)、山々・・素直に感動しましたね。
おじさん達と一緒に歌いました。夜は夜で川原に座ってギターを弾きながら、おじさん達は焼酎を飲み・・お約束のようにサヌリムを歌い・・・この熱さ、嫌いじゃないです。ふふ。

このミュージックパワーというバンド名ではアルバムは2枚出ています。
その後、シン・ジュンヒョンの名前で4枚。歳をとるごとに渋みを増し、ワタクシのようなひよっこでは到底理解できない大人の世界が広がっています。

このへんのアルバムはCDショップへ行ってシン・ジュンヒョンで探せば簡単に手に入れることができます。

とめていっぺんに聞いてみたいという方にはシン・ジュンヒョンスペシャル『NOT FOR ROCK』をおすすめします。

『NOT FOR ROCK』
2002-04-25  地球レコード

なんと5枚入ってます!なのにお値段は、15500ウォン(約1500円)!!
涙が出てきますよ・・ジャケットの彼がキンちゃんに見えるのは気のせいでしょうか?
Disc1、5は、シン・ジュンヒョンとヨプチャンドゥル
Disc2、3は、シン・ジュンヒョンとミュージックパワー
Disc4は、いろいろな歌手達のヒット曲 で構成されています。

体の調子が悪くて(?)しばらくライブ活動を休止していた、シン・ジュンヒョンが、2002年の秋に,名曲を収めたアルバムを新たに出し,それを記念して再びライブ活動をはじめました。マイスタジオ、1回のライブ百名限定、期間限定。日本のファンですと書いて、一応当選、2002年10月27日に見ることができました。よかった、彼が元気でいるうちにライブが見られて・・
ポスターに名前とサインも書いてもらいました。

東京の某所にてムッシュかまやつともちょこっとお話したし、ギターもひいてもらったし、日韓両国のGSの親分に直接声をかけることができたなんて!えへへ、ちょびっと自慢です。
(誰もすごがってくれないと思うけど!)